隠居の独り言(788)

大河ドラマ「竜馬伝」の第九回は「命の値段」だが、幕末の志士たちは今に思えば
随分と命を粗末にしたものだろうと感じる。思想というものは一旦それを信じたら
左右を見る余裕も無く命を張ってまでも貫き通す。吉田松陰がその最たるものだが
自らが密航や倒幕を名乗り出て、やがて処刑されるとは自殺行為そのもので思想に
殉ずることが信念の全うを出来ると考えたのだろうか。革命とは古今東西を通じて
最初に思想家が現れ、その信奉者が血で血を洗う闘争を繰り返し、生き残った者や
大きな処理能力を持った組織が国家像を纏めていく。外国ではアメリカ独立戦争
フランス革命も、ロシア革命も、多大の犠牲を払って、産みの苦しみを経験したし
日本の幕末から明治維新も同じような経緯を持ち時が流れた。現代では命の大切は
生きる目的の第一指標だが、日本の中世時代の武士達は封建制や自らの主義のため
命を顧みず、武士道とは死ぬことと見つけたりの観念で散るのを惜しみなかった。
第一段階が松蔭や佐久間象山なら、第二段階も優秀な逸材が惜しげなく散っていく。
土佐藩の例なら、竜馬であり半平太であり中岡慎太郎であった。最終段階の明治の
維新に入っても動乱を乗り越えた一流の志士の江藤新平佐賀の乱で、西郷隆盛
西南戦争で散っていった。大久保利通さえ私恨で暗殺された。彼らが生きていたら
歴史も良い方向に進んでいたと思うと残念でならない。ちなみに生き残り組みには、
優柔不断の伊藤博文汚職井上馨軍閥山県有朋など二流の志士が重鎮となり
国家を支配したのが数々の戦争のルーツで日本の悲劇といえる。ドラマの筋書きは
土佐藩の山本琢磨(橋本一郎)が、商人の懐中時計を拾い換金しようとしたことが
切腹を要求する半平太(大森南萌)と、それに異論を唱える竜馬(福山雅治)との
違いは、あくまで武士道を貫く潔癖な半平太と、士分でありながら柔らかい精神を
持つ竜馬との対比で、現代社会にも当てはまる人間関係の勉強に通じる。