隠居の独り言(796)

幕末の十九世紀中頃、同じ日本の中でも藩や地方によって制度がこれほど違うのかと
驚き不思議な気分さえする。例えば長州藩、明治に初代首相になった伊藤博文などは
卑賤の出だが、長州・萩の町の武士の家のあいだを使い走りしていた名もない少年が
吉田松陰のもとで勉強するようになって何となく侍の仲間になり、やがて身分の高い
桂小五郎達と友達扱いをしてもらって藩の習慣で「俺・お前」と呼び合うようになる。
後の幕府からの長州征伐、外国から攻撃された馬関戦争、官軍となった戊辰戦争など
長州が一丸となれたのも、これらの身分を超えた仲間意識が背景にあったのは必然だ。
仲間意識は250年前の関が原で長州は西軍に属し120万石から37万石に削られたが
長州の困窮はそこからはじまり苦楽を共有する藩の風土が培われた。同じ関が原でも
東軍に属した山内氏は24万石をもって土佐に進駐し、従来の家来を上士とし土着の
土佐人を弾圧した身分制度の厳しい土佐藩との違いは瞭然としていた。尊皇攘夷でも
長州の周布政之助高杉晋作などは藩ぐるみで行動出来たが、土佐では武市半平太
竜馬(福山雅治)の土佐勤皇党などは藩主から弾圧され、やがて竜馬も含めて多くの
武士達が脱藩しその多くが非業の死を遂げている。土佐藩主・山内容堂は三百諸侯の
無能な殿様でなく「四賢候」の一人に数えられ文武両道の全てが一流で、その教養を
論じて土佐の頭脳は自分だけで良いとの考え方だった。人は生まれた所や環境により
運命が左右されるが、支配者の考えだけで人の命が翻弄された封建時代という制度が
崩れようとしている幕末から明治に掛けての人のそれぞれの生き様は、結局は世間を
上手く泳いだ人が生き残る。ドラマは竜馬が長州藩・久坂玄端(やべきょうすけ)に
会いに土佐を留守にしていたころ、弥太郎(香川照之)は、喜勢(マイコ)と結婚し
吉田東洋の犬として郷周りという役に付いていた。