隠居の独り言(818)

長年の鎖国の国是を布いていた江戸時代も後期になると攘夷という外国人への
拒否反応はあっても開国へ向かう過程で文久年間は最も産みの苦しみがあった。
京では攘夷派の長州藩が政変で追われ、替わって幕府が京都守護職に任命した
会津藩と長州と反目していた薩摩藩が京の治安を担当した。中でも不穏分子を
取り締まるために見回り組と新撰組が結成され、京の街を我が物顔に闊歩した。
見回り組は主に御所や二条城の官庁街を、新撰組は主に祇園や四条の歓楽街を
管轄することで区分けしたという。脱藩浪士の竜馬(福山雅治)の身分は当然
不穏分子で長州の居残り組みと共に狙われる対象になったのは時の流れだろう。
幕府軍艦頭取の勝海舟武田鉄矢)は竜馬を海軍塾長に任命する。実力もあり
人望もある竜馬だけに当然の人事と思われるが粛清の嵐が吹き荒れる土佐藩
お家事情と新撰組などから身を守る海舟の洞察があった。そんな世情の京都も
6月5日は祇園祭で三条小橋の旅館・池田屋周辺は多くの観衆で賑わっていた。
その夜、池田屋尊攘派の倒幕計画の集まりで、長州藩肥後藩望月亀弥太
音尾琢真)の土佐藩の志士たちが話し合っていることを聞きつけた新撰組
不意打ちの斬り込みを受けて尊王倒幕の実力者たちは壊滅的な被害を受ける。
世に言う「池田屋事件」だが、幕末史も変えたとういう大事件だっただけに
ドラマはもっと克明に描写して欲しかった。竜馬が駆けつけたという脚色も
歴史家の多くは江戸にいたとう説が多く真相は分からない。一方で土佐では
半平太(大森南萌)始め勤王党への尋問は厳しさを増していた。大名というは
当然に独裁者のはずだが江戸期も半ばを過ぎると藩主の殆どが凡庸で家老達が
藩を差配したが、土佐の容堂だけは真の独裁者で家来達は苦労したに違いない。