隠居の独り言(854)

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだが人間も勝手なもので、あれほど
今年の酷暑に参ったのに過ぎて見ると夏が懐かしい。今さら彼岸の意味もないが
悟りの世界(涅槃界)を指し梵語のパーラミタの音写である波羅密多の至彼岸の
意味で人間の迷いの世界(現世)から彼岸に渡るということらしい。秋分の日は
太陽が真西に沈むので西方浄土の考えから十万億土とこの世が結ばれてご先祖が
郷里に里帰りされる。その時期にご先祖に会える心気持ちで墓参りをするのだが
夏から秋への季節の変わり目と生活の区切りも含めて日本人の年中行事となった。
つまり彼岸会は仏教の発祥の地のインドや中国にも無く日本独特のものなのだが
彼岸を迎える時に、ご先祖や亡くなった父母を想うのは信仰のDNAなのだろう。
普段は無信仰・無信心の罰当たりの自分も父母の命日や彼岸を迎えると心改まる。
今こうして生きていられる幸せもご先祖のお蔭だが、もともとお蔭という言葉は
仏教の教えから来た心の謙虚な考えだ。我が家は浄土真宗西本願寺派でご本尊は
阿弥陀如来だが、阿弥陀さまはいつも勢至と観音の二人の菩薩を従えていられる。
お蔭とはあなたのお知恵(勢至)とお慈悲(観音)の蔭の下で日々暮らせる事で
父と母が厳しさ(知恵)と慈しみ(慈悲)で育ててくれたお蔭で今の自分があり
それを次の子供や孫にお蔭の心を伝えること・・知恵の心を表わして灯明をあげ
慈悲の心を表わして花を添え、ご先祖を偲ぶことが仏への感謝の心と教えられた。
鎌倉時代の随筆家・鴨長明の「方丈記」の冒頭に「行く川のながれは絶えずして
しかも本の水にあらず。淀みに浮ぶ、うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく
とどまることなし・」この世には永遠のものはありえない、日々に変化をし続け、
愛する人ともいつかは別れ、そして誰もいつかは死んでいく・・との詩の意だが
この世は「諸行無常」そのものであり現実をしっかり覚える事と、生きるうえで
諸法無我」という言葉の、この世は全ての関連で生かされているので人さまを
大切になさいと阿弥陀は説いている。