隠居の独り言(900)

隠居シリーズも900回を迎えたが最近の隠居はマンネリのパターンに陥り
独創的な発想も今一つで文章・文体の進歩もさしてなく、ただひたすらに
書いているのに疑問を感じるようになっている。これがマンネリなのか?
英語のMannerismは礼儀作法の意味合いで様式や作法を大切にするのは
いったんマナーが決まったらそれを繰り返すのが伝統の様式美だという。
それならマンネリズムも悪くない。TVの水戸黄門もお定まりの筋書きで
何と1200回放映記念という。と都合よく解釈して1000回を目標としたい。
閑話休題。今日は「北方領土の日」。日ソ中立条約に反して北方四島への
攻撃を開始したのは日本の敗戦後であり北方四島全ての占領を終えたのは
降伏文書調印後だったのを忘れてはならない。盗人猛々しいとはこの事だ。
今では北方領土とは国後・択捉・歯舞・色丹の四島を指すが江戸時代から
日本が治めていた領土は樺太と千島全島で何も四島に限ったものでない!
例えば樺太は江戸時代に松前藩が直轄地として管理していた土地であり
幕府の探索官の間宮林蔵が1807年に樺太が島であるのを確認している。
ロシア人が樺太に足を踏み入れたのは1850年代に入ってからでロシアが
樺太を日本に無断で植民地と指定したのは1853年、ペリーの黒船騒ぎの
最中のどさくさまぎれの火事場泥棒のようだ。しかも日本も幾世期に亘り
管理してきた土地をロシアの恫喝的外交で1875年の千島樺太交換条約で
いとも簡単に樺太を諦める日本人の言いようのない弱々しい情けなさよ!
日本の弱腰外交の稚拙や領土への権益意識の薄さは現代でも変わらないが
ロシア人の入植僅か20年で他国の領土を奪う厚顔無恥をもっと知るべきだ。
千島樺太の領土強奪、戦争末期の満州での暴虐、シベリア抑留等の蛮行は
絶対に許せないが、不法占拠を日本の侵略戦争の結果と主張するロシアよ!
お前の犯した残虐非道は永久に忘れないし、お前にだけは言われたくない!