隠居の独り言(920)

八百長問題で大相撲夏場所の開催も危ぶまれているが勝ち越しや負け越しで
番付や地位が変わるシステムの変わる相撲界でも、そこは人間のすることで
八百長を批判するのは容易いが相手力士がここ一番の勝負が崖ぶちであれば
力の配分が違ってくるのは当然でそれが人情というものだ。口頭やメールで
金銭を持ち出せば論外だが賭け事をやったことが無いという人はまずいない。
八百長は確かに悪いが、察するところ競輪、競馬などの公営ギャンブルには
相撲界の野球賭博八百長よりも遥かに巨大な組織が動いているに違いない。
八百長とはある意味、賭博の一種だが賭博がだめならジャンケンもゲームも
お金と等価と言える物や権利を賭けた賭け事そのものだが、たまには弱者に
勝ちを譲ることもあるだろう。昔、喫茶仲間に巨人ファンがいて巨人阪神戦で
コーヒーの驕りっこをしたのは立派な野球賭博だし、得意先と麻雀やゴルフで
金銭やチョコレートを賭けわざと負けるのは常識的八百長だった。この問題は
胴元に暴力団が絡む事でケータイの細かいメールノやりとりよりも暴力団との
関係を完全に絶てば済むことだ。一般的に八百長や賭け事が悪いといわれても
競輪や競馬宝籤が良くて、その他が悪いなんてピンとこない。大元を根絶やし
出来ないで力士だけに責を負わせるのはあまりに片手落ちと思う。マスコミは
得てしてすぐに何かにつまずいた人を大げさに叩くのは人情味の無い悪い癖だ。
中国に「池に落ちた犬を打て」との言葉があるが、成功者が何かでしくじると
正義をふりかざし執拗にこれでもかと責め立てる。かつて朝青龍琴光喜
マスコミの正義とやらに滅ばされた。些細な法律的問題で相撲界の存亡にまで
発展してしまったのは力士の責任というよりマスコミの「正義」ではないか?
八百長問題は「正義」というよりリンチの気がしてならない。