隠居の独り言(964)

「文章の要は、何かといえば、自分の心の中にあること、自分の言いたいことを
できるだけ、その通りに、かつ、明瞭に伝えることにありまして手紙を書くにも
小説を書くにも、別段それ以外の書きようはありません」1965年の7月30日に
この世を去った文豪・谷崎潤一郎の言葉だが、心の中にあること言いたいことを
その通りに書くことが実は一番難しい。興味深いのは谷崎が文章の上達法として
文法に囚われない、感覚を磨く事、の2項目を挙げているのが名文の秘訣という。
それは「刺青」「痴人の愛」の官能的、耽美的な作品は文法に囚われなかったから
余計に読者の心に迫るものがあったと思う。所詮自分に煩雑な文章の書き方など
持ち合わせていないがブログに取り組んで7年、頭の体操の心算でやり始めても
遅々として一向に進歩の無い文章力に最近は焦燥と諦めが交差して自信が遠のく。
起承転結とは文章の構成を指すが、音楽の演奏でも構成は同じで序奏から始まり
主題のメロディーを語り強弱や厚みの変化をしながらフィナーレに繋がっていく。
短いエッセーにも物語の構成があり言葉に込める心遣いが中身の魅力を決めるが
文豪のように素直に明瞭に伝える事の出来ないもどかしさと至らなさを味わう。
実はブログの最も難しいのは継続にあると思う。といって淡々と綴る善良な人の
善良な文章は面白くも何ともないが、生半可な筆力では魅力もないし進歩も無い。
筆力も高度なテクニックも無いのに未だ続いているのも恥の無い老人のせいかも・・
流れゆく政治や世間の仕組みにキバをむいて逆らっても空しさを覚えるだけだが
それでも繰り返しているうちにいつか自分のパーソナル・ヒストリーになっていく。
ブログは世の中に自分を晒すものだが、少しは戯画化し本音と建て前の使い分けを
楽しむ余裕も欲しいところと思っている。たかがブログ、されどブログだが、
どこまで続くか自分にも分からない。