隠居の独り言(972)

慶長3年の夏は例年になく暑い日が続いていた。春の頃から体調が思わしくなく
全身が痩せ衰えた秀吉(岸谷五朗)は死期の迫ったのを悟ったのか8月18日夜、
にわかに三成(萩原聖人)始め五奉行だけを呼び寄せ遺言を残すと語りはじめた。
秀吉は悲しみがこみあげてきたのか、涙を止めどなく流しながら息もたえだえに
「みなのもの、ひでよりのこと、よろしゅうたのむ、なにごとも、このほかには、
おもいのこすことはない、あぁなごりおしく」言葉の途中に死相を帯びはじめた
秀吉の顔は徐々に冷たくなっていった。上さま!三成は叫びながら涙をこらえた。
三成の今は豊臣家の永い栄華を誓ったが既に死骸と化した主人に通じる由もなく
今まで全幅の信頼を得た感謝と先行きの責任の重さに甘美な感動が全身に奔った。
「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」秀吉の辞世の句
三成は冷静に戻り五奉行に伝えた「かねて申し上げていることだが太閤ご逝去は
一切口外してはなりませぬ。ここだけの人数、一人ひとりが胸に秘められること」
それは朝鮮出兵軍への配慮だった。もし秀吉の死が敵国に伝われば和睦の交渉も
戦場からの撤退も困難になり在朝の将士達は窮地に追い込まれてしまう。実際に
この秘密令で敵側に漏れることなく全軍が撤退したあとに敵側は知り悔しがった。
それでも遺体は放置するわけにいかない。真夏の異臭で城全体に知れ渡るだろう。
秀吉の遺骸は葬儀も行列もなく数人の運搬人によって東山の廟所に運び込まれた。
享年63歳、市井の庶民だってこのような惨めな野辺の送りは聞いたことがない。
乱世を一手に収め史上かつてない統一国家を作った英雄の最後は何と悲痛だろう。
外征軍への配慮もあったが、三成の心中はいかばかりだったか察するに余りある。
秀吉の晩年の失政のせいで有終の美を飾ることも叶わず或る意味滑稽ともとれた。
大河ドラマ「江」は、秀吉が亡くなって江(上野樹里)は深い悲しみを感じていた。
以前からあれほどにまでに憎み嫌っていたのに何故?と問う江に秀忠(向井理)は
「本当の父娘のようであったからであろう」と答える。そんな折、三成が家康の
命を狙っていると噂が広がるが危険を察知した家康は秀忠と江にすぐにも江戸に
向かうよう命じ二人は旅立つ。