隠居の独り言(973)

最近の世の中は首を傾げる事件に事欠かない。大阪の公園で一斗缶に詰められた
バラバラの死体は普通なら犯人は人目に付かない場所に遺棄すると考えるのだが
わざわざ人が多く出入りする公園や通りに置くとは思いもよらない。現代の人の
心が変化したのだろうか?まず人を殺すという行為はどのような理由があっても
人間の理性の域を抜けた錯乱状態でないと出来るものでない。犯行に及ぶまでの
長年に亘る相手への憎悪、怒り、嫉妬などの積み重ねのある瞬間の爆発だろうが
よほど冷酷な心が潜んでないと実行は難しい。子供の頃は迷信というのがあって
バチとかタタリといった形があり愚行を改め不行儀を慎むようにと躾けられたが
一種の脅しのようでも子供心にも否定し難いものがあって迷信といえども信じた。
お臍を出していると雷さまに食べられる、夜ツメを切ると親の死に目に会えない、
嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる、ミミズに小便をかけたらおチンチンが腫れる、
猫を苛めると死んだら化けて出でくる、夜、子供が口笛を吹くと妖怪がでてくる、
暗いところ、便所の中、人のいないところ、怪談の場所はいたるところにあった。
如何にも非科学的で、そんなバカな、と思っていても世の中には科学や常識では
説明できないものは今も多くあり人間の感情や好き嫌い同様に方程式に嵌らない。
死は恐ろしいもので得も知れぬ恐怖感は人を殺してはいけない迷信の教育だった。
今は迷信は死語になったがその迷信が消えた辺りから人は死体が怖くなくなった。
世界の各地の紛争は殺人が機械的になり大人ばかりでなく子供達も携帯ゲームの
殺人アクションに遊んで人間性を喪失した。だから死体を平気で傷つけ損壊する。
昔は殺人事件を三面記事で知っても切断するとは考えただけで身の毛がよだった。
善い事をすれば死後は極楽を保証され、悪い事をすれば地獄に落されると素直に
信じていた少年は此の世の欲望や悪事を知るにつけ信ずるものが無くなっていく。
最近の事件簿は人間性の喪失なのか?人の心まで悪化している気がしてならない。