隠居の独り言(987)

大器晩成の言葉がある。「人間五十年、下天の内をくらべれば夢幻の如くなり」
信長は「敦盛」を舞って本能寺で散ったが、下天の意は人間の生涯の定命であり
下天は50年とされた。それでも歴史を紐解くと関東の北条早雲が伊豆の地から
戦国時代が始まったのも、毛利元就厳島で主君を破り大名にのし上がったのも
60歳を過ぎていた。今も当時も60代で老け込むのはまだまだ早く家康の心情に
なれば豊臣一派を一掃して徳川家を盤石にするためには老いを意識する暇は無い。
ちなみに家康は女色にも精力的で58、60、61歳と立て続けに側室に男子を儲け、
それぞれ尾張紀州、水戸の藩祖となっている。老いてますます盛んの家康は
豊臣家を有名無実化して徳川の覇権を確実にするために晩年の全精力を傾けた。
家康の柔軟な発想は見事なものでとても60歳を過ぎた老人の考えとは思えない。
前政権の秀吉が考えた関白という国政ルートとは別に、武士の棟梁と目される
征夷大将軍の地位を手に入れ江戸に幕府を開き家康は名実ともに天下人の座を
合法的に獲得して豊臣家を将軍の統帥下の許に小さな一地方大名に転落させた。
そして僅か2年後に秀忠(向井理)に将軍職を譲って徳川幕府を世間に認めさせ
自らは大御所と称して駿河城に移り全ての権限を家康が掌握し独裁色を高める。
豊臣はじめ家康に対抗できる者は皆無だが秀頼や淀(宮沢りえ)が相変わらずの
天下の主人顔でいつまでも幕府に膝を屈そうとしないので家康の目の黒いうちに
始末しなければいずれ家康の死後に豊臣方が息を吹き返して徳川幕府が転覆する
危険性が潜んでいると考えねばならない。家康は人が変わったように必死だった。
大河ドラマ「江」は慶長9年(1604)7月、江(上野樹里)は待望の男子を出産するが
世継ぎ誕生を喜ぶ江と秀忠のもとに大姥局(加賀まりこ)がひとりの女を連れてくる。
世継ぎの乳母として家康が選んだ福(富田靖子)、のちの春日局であるが福は早速に
戸惑う江の目の前から赤子を抱き取り連れていってしまう。竹千代と名づけられた
赤子は、すっかり福に囲い込まれてしまい…。