隠居の独り言(991)

かつて秀吉が朝鮮侵略で失敗した事によって武将が能力を結集して戦争をして
実利を得るという時代が終わったのを家康は思い知ったことだろう。戦中にも
家康は儒者の藤原惺窩を招いて朱子学を学んだ。理念は封建主義を出ないが
「主君を大切にする・序列を重んじる」といった規範を広め戦国期における
実力主義の風潮を改め朱子学の名分によって家康は長幼の序列を基本として
三代将軍には秀忠(向井理)の長男である家光(水原光太)に決めていた。
秀忠と江(上野樹里)は二人の男の子のうち利発な弟の国松(松島海斗)を
可愛がったがそれを見ていた家来たちは次の将軍は国松がなると感じていた。
これに対して家光の乳母の春日局駿府の家康に江戸の状況を直接に訴えた。
家康は原則を立てておかないと能力争いになり次は戦争の種になりかねない。
戦国時代なら能力のある子供が跡を継がせるのが妥当だが平和時には原理は
もう働かない。徳川家存続のため、ひいては平和のために新しい原理原則の
序列に従うという長子相続制度がここに確立された。家康は孫の長男・次男の
差をつけ将軍・秀忠夫妻は無論のこと天下に向けて三代将軍に家光を示した。
大名も百姓も庶民も長子相続が定められ江戸期の基礎が定められていくのは
幕府に逆らう者無く日本人が徳川家のために3世紀に亘ってコビトにされた。
大河ドラマの江は竹千代が病弱に育ったのは福(富田靖子)のせいではと悩む。
そんな母を健気に励ます次男・国松が秀忠や江には愛おしくてならなかった。
次第に江戸城内では家臣たちから「跡継ぎは国松」といううわさが流れ始める。
一方、大坂では淀(宮沢りえ)が秀頼(太賀)と側室の間に生まれた子を可愛がり
家康の孫である正妻の千(忽那汐里)は家族の輪に入れずにいた。