隠居の独り言(993)

大河ドラマ「江」も終幕に近いが天下取りといえども家康の豊臣潰しのやりかたは
猫が鼠をいたぶる様に陰湿を極める。関ヶ原の勝利で地方の一大名に貶めた豊臣に
ここまで執拗に苦しめる家康の心の汚さが現代に至っても彼の評判を落としている。
秀吉の死後、大阪城に蓄えられた財力を全国の寺社の修復や再興のためとの理由で
さんざんに浪費させたあげく京都方広寺の大仏の梵鐘に刻まれた文字に難癖を付け
三つの条件を言い渡す「秀頼は大阪城を出て他所へ移る、江戸城へ参勤交代をする、
淀君を人質として江戸へ移る」豊臣方として呑めるはずもなく遂に戦争へ突入する。
別の見方をすれば「国家安康」「君臣豊楽」の文字は誰が見ても難癖の方便であり
書かせた人物は多分徳川だと思うがそれを見抜けなかった豊臣方にも予測の甘さが
招いた自らの非であった。豊臣は一度ばかりか関ヶ原でしくじり冬の陣、夏の陣で
遂に消滅する。それは先の大戦の直前にアメリカからの日本への要求に似ている。
「日本の中国・満州インドネシアからの撤退、石油など資源の禁輸、軍縮等」で
諸条件を呑めないことを見越して戦争を仕掛ける外交戦略は古今東西変わらないが
トップにセンスがなければ滅びの物語として後世の記憶の中に遣るしかなかった。
ドラマは江戸城では江(上野樹里)と福(富田靖子)の徳川家将軍跡継ぎをめぐる争いが
続いていた。長男の竹千代(水原光大)か、次男の国松(松島海斗)にするべきか?
一方の秀忠(向井理)は家康(北大路欣也)による打倒豊臣の動きを察して秀頼(太賀)に
「共に泰平の世を築こう」と文を書いている。でも時代の流れは既に止まらない。
老いて70歳になった家康がついに動き出す。家康は豊臣が方広寺に鋳造した鐘に
徳川に対する呪詛の文字が刻まれていると抗議したがそれは仕組まれた罠だった。