隠居の独り言(1007)

大河ドラマ坂の上の雲」も残すところ二回になったが旅順港の殲滅の勝利で
後顧の憂いを断った連合艦隊は日本を目指してやってくるバルチック艦隊との
決戦に備えるが敵艦隊が日本海と太平洋のどちらを通るのかの課題に直面する。
バルチック艦隊ウラジオストクまで向かう航路は対馬海峡か?太平洋側か?
迎撃する艦隊を1セットしか持たない日本はどちらかで待ち伏せするしかない。
真之(本木雅弘)は対馬海峡を想定して哨戒計画を立案するが敵艦隊は来ない。
東郷(渡哲也)は真之を信じる。運は日本に味方なのかロシアに味方なのか?
日露戦争のハイライト日本海海戦を語るとき、先の戦中に学校の修身の時間に
少年時に暗誦した名文が甦る「敵艦ミユノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、
之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」明治37年5月27日早朝に
日本海上の連合艦隊旗艦「三笠」から東京の大本営に発せられた電報の電文は
真之の作文とされるが明治ナショナリズム文学が生んだ最高傑作といつも思う。
ロシアは一挙に日本海軍を殲滅しようとバルト海にあった世界最強といわれた
バルチック艦隊大小40数隻の艦艇が地球の反対側18000海里も先の日本海
向かって旅立った。途中に何度も各国に寄港して食料や石炭を買い込みながら
大西洋から喜望峰を経由し灼熱地獄のインド洋を長期体験し絶えず日本艦艇に
怯えながらマラッカ海峡を通過し最後の対馬海峡に向かった長い苦い旅だった。
バルチック艦隊の乗組員の大変な苦労を思うと切ないものだが待っていたのは
東郷平八郎率いる日本連合艦隊だった。いくら世界最強ロシア艦隊といえども
長い航海で船底は牡蠣がこびりつき速力も出ず乗組員は疲れ果て士気は落ちて
連合艦隊の餌食となるのは明らかだった。今さら日本の完勝は言うまでもない。
今にして思うのは明治を担った人達は国家を愛し列強の仲間入りをするために
骨身を削る思いで軍人から百姓まで健気なまでに日本人の誇りと勇気があった。
明治の人の逞しさは武士道精神であり属国の屈辱より死も恐れない勇気があり
幕末期から受け継いだ武士のDNAの気風が当時を生きた人々に存在していた。
長い日本の歴史の中で国家を意識して最も輝いたのは明治時代であったと思う。
自分は昭和一桁生まれだが父母の代は明治生まれの人で芯の一本通った律儀と
知恵を持ち合わせた日本人の誇りを持っていた。先の大戦の責任は重い反面に
戦後復興の原動力は明治人であり繁栄の元を質せば彼らに負うところが大きい。