隠居の独り言(1037)

先だっての新聞のコラムから「立川談志橘家円蔵古今亭志ん朝毒蝮三太夫
4人の師匠が焼き肉を食べた。帰り際に談志さんが「おい蝮、お前が払え」と言う。
「割り勘は皆が不愉快になる。お前が払えば、お前だけ不愉快で済む」円蔵さんの
高座で聴いたマクラである。たった一人で不愉快を引き受けるのではたまらないが、
ならば割り勘がいつも公平かといえばそうとも限らない。酒豪3人が1万円ずつ飲み、
2000円しか飲まなかった人も含めて平均8000円ずつの割り勘ではお気の毒だろう」
でも2000円分を呑める人はまだいい。全然呑めない下戸にとっては不公平極まりない。
自分は生まれつきの完全な下戸だが時々一律会費制のパーティに出席することがある。
でも下戸だからって会費をマケテくれたタメシがないのが世間の習わしというものだ。
少しは幹事さんが気遣って欲しいと願うことしばしばだが、そういう時に限って呑兵衛は
「ねぇ〜さ〜ん、もっと酒持ってこい」のセルフを聞くと余計に腹の虫が収まらない。
それでも武士は食わねど爪楊枝・・酔客の相手をさんざ経験した下戸の人生は哀れだ。
むかし中国では酒に多大の税金を掛けた。そして税金を納めた家は城郭の中に住んで
税金を払えない人は城郭の外だった。そこで上戸・下戸の名称も生まれ身分の差になる。
つまりお酒を呑める人は身分の高いお金持ちであり呑めない人は貧乏人と決められた。
そして下戸とは貧しい人の代名詞となっていった。下戸の悲しさは生まれ持った縁だ。
実際に酒に強いか弱いかは遺伝的で生まれつき持っている肝臓の酵素が影響している。
呑んだお酒のアルコールはその殆どが胃袋から肝臓に運ばれた後に分解・処理される。
アセトアルデヒドという酵素に分解されALDH(アセトアルデヒド脱水素酵素)の
作用で無害な酢酸に変わり全身の組織に運ばれ最終的には炭酸ガスと水に分解される。
つまり呑めるか呑めないかはその人の肝臓の内部にあるALDHとかで決まってしまう。
「親の因果が子に報い」我が家のご先祖様は相当に貧乏だったらしい。鷹がトンビを
産むわけがない。貧乏人に生まれ育った子孫は会合ではいつも末席でうつむいていた。
酒の呑めない人生は半分の損をしているという。損している分をどうしてくれる!