隠居の独り言(1060)

刺青が話題になっている。大阪の橋下徹市長の調査では市に勤める公務員の中で
110人も彫っていたというから驚く。窓口の職員が刺青をしていたという問題は
市民が相談に来て担当者に刺青があったら安心して相談できないとの苦情がある。
公務員だけでなく最近は街を歩く若者の腕や脚先に見かけることが多い昨今だが
刺青をタトゥー(tattoo)と気軽に呼んで若者の刺青への捉え方が変わってきている。
外国人がオシャレ感覚で刺青を入れているのを見かけるがそれは文化の違いだろう。
日本では刺青を入れる人は反社会的な世界に生きているイメージがあって話題にも
覚悟と決断が必要になる。子供の頃、近くの銭湯で背中一面にクリカラモンモンを
彫った人がいたが彼は堅気ではなかったろう。刺青という行為にはその人の運命や
宿命的で決してこの生き方から逃れられないという重い人生観があっての証しだが
タトゥーという言葉は軽やかでファッショナブルなイメージで現代の若者の刺青は
短絡的な気分で入れているとしか思えない。刺青は彫るときは簡単に入れられるが
消すには何十倍の費用を要し完全に元に戻らない。真夏の日に見たノースリーブの
若い娘の腕に小さな飾りの入れ墨を見たが彼女の美意識と人生観はとても気懸りだ。
日本人の意識として刺青は江戸期には罪人の刑罰の一種であったし、遊郭の女性は
男性の性的興奮を高めるとして彫られた。今でも暴力団員が威勢を示す手段として
刺青をちらつかせるのが多いのも事実で反社会的、否定的なイメージ面は拭えない。
現に公衆浴場、プール、ホテル、ゴルフ場など刺青をした人は入場を断れる場合が多い。
話しはそれるが我が師匠のミヤシロ・マヌエル(Miyashiro Manuel)の作詞作曲に
Tatuaje(刺青)がある。ラテン音楽特有の甘くて切ない歌詞とメロディーの歌だが
この度のCDデビューされた「Mi Peru」Duo Esperanza演奏の中で熱唱している。
詞を要訳すると「君は刺青のように僕の人生に居座り続ける。遠い昔に裏切られた
恋なのに君は今なお消えずに僕の心を苛み苦痛に狂いそうだ。恨み憎しみを抱けば
尚更に君を懐かしく思うのは何て残酷な神の刑罰なのだろう。消えてくれ刺青よ!」
飽くなき恋の執念と消せぬ刺青を絡めたマヌエルの傑作だが刺青は、かくも罪深い。
自分には刺青を彫った経験が無いので語る資格はないが単なる装飾やファッションの
刺青でなく心の中の思いは肌に表すことなく秘めたことこそ、ゆかしいのではないか。
そして親から頂いた大切な身体を傷つけるのはいかがなものか?考える。