隠居の独り言(1087)

先日、ケータイを忘れて外出したが、こんな時にかぎって電話の必要がある場合が多い。
急いで公衆電話を探してもなかなか見つからない。やっと近くのスーパーで発見した。
ケータイの発達普及は便利なようで不便を感じるのは公衆電話が順次減っていくので
老人などケータイを持っていない人達にはまことに不便このうえない。思い起こせば
昔の公衆電話は赤色だった。だから赤電話と呼んでいた。そのうちにピンクの電話
登場し商店が自家用と併用する公衆電話になった。さらに月日が経っていつのまにか
公衆電話は緑色になっていた。自家用の電話も当時は黒と決まっていたが色の違いの
法則はどのように決められたのか分からない。今では何でもありのカラフルな時代だ。
でも電話の時代は互いの感情が入った言葉の声のやりとりに温かみがあった気がする。
自筆の手紙もいつ頃からか電子メールになり人間味が稀薄になったのがとても淋しい。
先日のイジメの事件の中学生のケータイメールで「うざい、死ね」等の言葉の暴力は
そもそも善悪の未熟な小中学生辺りの子にケータイを持たせる必要はどこにあるのか。
子供のケータイの内容も大抵が暇潰しの会話やメールで書かなくていいものが殆どだ。
電話機をタダでくれても電話代は固定電話より高くそれを子供は長話でも平気で使う。
子供にケータイを持たせる親が裕福なのか?世の中は不景気だといい普通の家庭なら
家計費を一円でも節約しようと努力しているはずなのにケータイは別物になっている。
生活保護を受けている人達もケータイを持ち家計が苦しいと役所に申請を出している。
中には絶体神のように個人情報全てプールしているのもいるというが危険極まりない。
変なサイトに繋げて人生を誤った子も大勢いると聞く。ケータイはウイルスのように
何もかも食いつぶし今では写真の価値を変え音楽などはダウンロード配信に圧されて
関連する企業の倒産も出ている。小説もゲームも掌中に収め雑誌や新聞が売れなくなり
ケータイ文化が世間を謳歌する。歩きながら電話する、車中では殆どの人が指を動かす、
暇があればケータイ、これはポケットに酒ビンを入れているアル中ならぬケータイ中毒、
でもこれでいいのだろうか?PCやケータイのメールの短文のやりとりは言葉の文化も
人間関係も薄っぺらなものになっていくだろう。昨年だったか、ある物を多くの方に
贈った際もお返事を頂いたのはお二人だけ、メール文化は積年の美徳も失われていく・・