隠居の独り言(1103)

歳を重ねる毎に体を動かすことも何かを考えることも面倒になる。これを老化という。
なんにもしないで一日中ゴロゴロしていれば極楽だよなぁ、欲しいものも特別ないし、
人付き合いも面倒だし、オッカーとも話もないし、おーいメシ、フロの二言で充分だ。
そういえばむかし学校の数学と古典の授業は退屈そのものだった。あんなの無駄だね。
世間に出て何の役にも立たなかったし生活の足しにもならず頭の中にも残っていない。
♪柳、やなぎで世を面白う、うけて暮らすが命の薬、梅に従い、桜になびく、その日、
その日の風次第、嘘もまことも義理も無し・・江戸期に謡われた端唄の歌詞の一節だが
とにかく人間は昔も今も怠け者に出来ている。でもそんな風来坊でも遊ぶこととなると
寸暇を惜しまず全身全霊を酷使して夢中になるのが不思議でならない。生まれつきの
性格は飽きっぽくて半年も続いたためしがなかったのに中高年も過ぎて目覚めたのが
ギターを弾くこと、そして歌うこと、音楽がよほど自分の性に合っていたのだろうか?
これも前から分かっていればもっと早く始めたろうと後悔しきりだが時間は戻らない。
働き盛りのころは音楽は日々のBGMで自ら歌って演奏するなんて考えもしなかった。
単純な頭は商売だけで時を無駄にすれば取り返しのつかない大損だ。遊んでいる奴は
いわゆる甲斐性無しで女子供を食べさせる男の大義は信仰心のように厚いものだった。
でも人の心情は齢と共に賽の目のように変わっていく。残された人生の時間は少ないが
凡才も若い頃やりたかったことを思いっきりやろう。何歳から何をしても自分の人生だ。
幾つになっても好奇心を持ちそしてそれを自分のものにして表現出来れば本懐だろう。
凡才の趣味は生活にも必要なく誰も期待しない「無用の贅」だからこそ夢中になれる。
年齢は避けがたいが精神的にも経済的にも実生活のうえで自立することが求められる。
不思議なもので歌い続けていると声が出てくる。高音も以前と殆ど変らないし人間の
可能性は無限と思えてくる。技術も出来なかったことが出来た時の喜びは何に替え難い。
トリオの合奏練習のときは、世間のこと、厭なことは、みんな忘れて幸せそのものだ。
自分はほんとに音楽が好きなのだと思う。人生の第4コーナーは極楽、極楽で過したい。