隠居の独り言(1129)

車が左折しようとしている。当然ながら歩行者の横断が優先で人の流れが跡切れるまで
待たなくてはならない。その間にも左折の後続車がつっかえてくる。でもこれは歩行者
優先のルールなので仕方ない。でも歩行者に少しでも車に対する思い遣りがあったなら
小走りの格好を見せてくれるだけで嬉しいが、優しい気持ちの持ち主は稀にしかいない。
どの状況にあっても我は我、車に斟酌することなく歩くペースは変わらない。なかには
携帯を見ながらわざとゆっくり歩く人もいる。人間がひしめき合って生きている世間で
みんなと仲良くするには規則や法律を乗り越えた小走り的な誠意がないと人間関係が
成り立たない。最近の事件簿に青春真っ盛りの時期に大阪の高校生が失意の自殺をした。
この生徒はバスケット部で主将を務めており顧問の教諭から体罰を受けた事を手紙に
書き残して死を選んだ。亡くなる前に母親に今日も30-40発殴られたと話し遺体の顔が
腫れ唇は切れていた。暴行死以外のなにものもない。遺体を前に顧問は体罰と認めたが、
これは体罰の域を脱し暴行、傷害罪になる。学校側は相変わらずの無責任な隠蔽体質で
これでは亡くなった生徒は浮かばれない。テレビのインタビューを見て腹立たしいのは
校長や教育委員会の人たちの生徒への誠意が微塵も感じられない。他人事のように話す
彼らの態度に指導者の資格無くイジメによる自殺が多発しているのに策も反省も無い。
何故30-40発も殴る必要があるのか。戦前の軍隊だって体罰の手加減があったという。
自殺した生徒の前日、顔を腫らせて帰ってきた時も「弁当がおいしかった」と母親を
気遣う優しい子供だってゆえに死のサインを出せなかったのか、よけいに悔やまれる。
「やってみせて言って聞かせて、やらせてみて褒めてやらねば人は動かじ」戦時中
山本五十六が残した言葉だが、かつての学校の先生は自ら率先を実行し実践する生徒を
褒め反抗する生徒には体罰を与えた。教育としての体罰はあっても顧問のしたことは
体罰の粋を脱しているのは無論、学校側の教師たちも教育の意味を穿き違えている。
先生と生徒の間柄は信頼関係が無いと教育は成り立たない。顧問は人間性も欠けている。
文部科学省の学習指導要領は何なのか。生徒に学問と道徳を教えるのではないのか。
自分が学んだ戦前の学校で先生に暴力を振るわれて自殺したなんて聞いたことがない。
生徒は素直に先生を尊敬した。顧問は「恩師」であるはずで鬼の顧問はいなかった。
鬼は厳罰に処すべきだし黙認した教師も懲戒処分にしなければ気持ちが収まらない。