隠居の独り言(1143)

NHK大河ドラマ「八重の桜」の物語は京での会津藩の活躍が却って民衆の反感を買う。
それは新撰組を「会津肥後守御預浪士」として公に「御預」として雇ったからであり
会津藩新撰組が同じムジナと京市民や諸藩に思われるようになった。新撰組は都の
大路小路を「誠」の字の半纏を着て隊伍を組んで練り歩き不穏浪士とみれば容赦なく
斬り捨て予想以上に奮迅したが奮迅すればするほど、その雇い主の容保(綾野剛)の
評判が奇妙に歪んで映るようになっていく。最初は気品ある柔和な印象だった容保は
「血に餓えた鬼畜」のようだと噂になっているのも容保自身気づかない悲劇であった。
とくに長州系の浪士は怨恨から憎悪に変りしばしば襲撃や暗殺計画まで企てられたが
会津藩士や新撰組には手も足も出なかった。京都を中心に攘夷派公家たちを利用して
一挙に軍事政権を樹立しようと企んだ長州藩会津藩新撰組から京を追い出される。
あげく下関で外国船に大砲を撃ったが逆に威力の強い外国船の艦砲射撃で滅多打ちに
されて攘夷の空しさを実感として覚え、攘夷論から討幕へ方針が打ち出されていった。
薩摩も生麦事件から薩英戦争を経て長州と同じ道を辿っていくわけだが現在は薩摩と
手を組んでいる会津藩もやがて薩長が手を組んで朝敵にされるなんて夢にも思わない。
容保の純朴一徹の性格は策略がまるでなく正直者が馬鹿を見る典型的な経緯だろうか。
ドラマ9回「八月の動乱」は、京で警備に当たる秋月(北村有起哉)と覚馬(西島秀俊)の
もとに薩摩から密使が送られ倒幕を企む長州を京から排除の協力するよう求められる。
その話を聞いた容保(綾野剛)は、長州の暴挙を見過ごすわけにはいかないと兵を挙げる。
孝明天皇(市川染五郎)もこの動きに応じ容保へ長州および三条実美(篠井英介)ら排除の
勅書を送り1863(文久3)年「八月十八日」の政変が起こる。会津藩にとってこの頃が
最も輝いていたが合同は薩摩に利用されたといって過言なく素朴な会津の心が哀しい。
幕末史として年代的に最高に面白いところなのだがドラマの狙いが違うので仕方ない。
そのころ会津では照姫(稲森いずみ)の右筆選びが行われていた。薙刀の師である黒河内
(六平直政)も八重(綾瀬はるか)を推薦し、八重の名が最有力候補として挙げられるが…。