隠居の独り言(1152)

わが家の近くの公園は横網公園だが中央に震災記念堂があり1923年9月1日に起きた
関東大地震で亡くなられた方と、1945年3月10日の東京大空襲の犠牲者の方の霊が
祀られて当日には被害に関わった大勢の人がお参りに訪れる。公園は祈念堂だけでなく
子供たちの遊具、日本庭園もあって憩いの場の公園としては一級品のものと思っている。
こんな由緒ある公園で自分は今まで毎日のように孫と隠れん坊、鬼ごっこ、ボール投げ
駈けっこなどして遊び相手を勤めてきたし、それは幼い子供たちの見張り番でもあった。
それが末孫の幼稚園卒園を機に公園に行くのが急激に減った。それは孫連れでもないと
老人が一人で公園にいること自体おかしなものと気付く。公園というのは誰でも自由に
入って一休みするのが本来の目的だ。でも実際に一人でいるのは気まずい思いがする。
十二時から一時の間はまだいい。昼休みには近所の会社員がベンチで弁当を食べたり
一服するのを見かけるが、それ以外の時間は子供をあやす大人たちや、祈念堂の参拝に
訪れる人だけで、年寄りが公園に一人でぼうっとしていると変質者に思われかねない。
年寄りの僻みかも知れないが、公園は市民の人の憩いの場として解放されているようで
実はそうでない。犬を連れている人も多いが、犬がいなければ多分彼らも来ないだろう。
公園に子を遊ばせるのは自分の子だけでなく治安維持の用心棒の役目も果たしていた。
昔は公園はそんなに多くなかった。そのかわりに草ぼうぼうの空き地が広がっていた。
自分が子供の頃は草ぼうぼうの空き地や雑木林はガキ仲間の世界だった。今と違って
親は一切ノータッチでガキ仲間の治外法権領域は親の干渉無く上下関係も出来ていた。
こうして子供たちは社会で生きる術を覚え大人になってからの道義心や人情を養った。
その点、今の子供は可哀相な気がする。子供同士の遊びが少なく思い遣りも育たない。
空き地で虫を取ることも無く、川で魚を捕えることも無く、畑で果物を盗むことも無い。
現代ではチャンバラゴッコでの生傷も無いだろうが危険なことも子供には学習であり
良いことも悪いことも体で覚えた子供心と諸々の体験は大人への階段を確実に登った。
ガキ仲間の上下関係がしっかりしていたが上が下を指導してもイジメは絶対無かった。
現代版自称ガキ大将の一人の老人が遊び相手を失って淋しげに公園を見つめていた。