隠居の独り言(1157)

結婚式などで沢山の人が次々と立ち上がって発言することがあるが、後で思い出して
誰が何と言ったか大抵は頭に残っていない。そういう時でも最初に口火を切った人と
最後に話した人の言葉が印象に残るのは始めと終わりが、いかに大切か如実に分かる。
それは人生も同じだと思う。最初に家柄の良い家庭の中で生まれれば言うことはない。
幸せの先陣を切って全て得をする。でもそれは一握りの良運を持った子供に限られる。
この世に生まれた最初の部分は親の責任だが最後の部分の全て自分の責任でしかない。
人生最後の10年、20年の生き方が、その人の一生が良かったか、そうでなかったかを
決めるポイントになるのは言うまでもない。営々と積み上げた人生の経験を生かして
円熟の花を咲かせることが出来たなら、その人の生きた収支決算書は大幅な黒字だろう。
今年95歳になったアンパンマンの、やなせたかしは「人生90歳からおもしろい」と
おっしゃる。今でも漫画家の仕事に追われているという。生涯現役に徹しているのが
何とも素晴らしい。現役といえば百歳過ぎた医師、日野原重明は一年で100回以上の
講演をし、それも立ち姿で水も飲まずに滔々と弁舌する。移動はいつも電車に乗って
駅の階段も足で登るという。そんな超人には遥か及ばないが、確かに晩年に思うのは
若いエネルギッシュは消えても年の功で様々な点景を眺める心の余裕が生まれてくる。
趣味の音楽は、例えばシャンソンは人生経験が豊かでないと味が出ないという。それは
ラテンも同じで民族音楽も恋の歌も人生の喜怒哀楽を体験しないと心の表現は難しい。
人は誰もが自分史を持ち、時には昔を振り返る。この年齢になっても恋の歌を歌うのは
未だ煩悩が消えず、つまり異性にモテたいからで枯淡の境地の修行は遥か遠い彼方だ。
落語も人生の最初と最後を端的に示す芸だと思う。落語のはじめの手順はマクラをふる。
途中の辺りは本題とは関係ないが、大喜利近くになって「落ち」とか「下げ」のセリフがあり
それが落語のカナメになる。落語を愛してきた日本人は人生の最終の美学を知っている。
「終わりよければすべてよし」いつの日か、ラストテープは笑顔で切りたい。