隠居の独り言(1162)

昭和の歌謡界の大御所・田端義夫が94歳で亡くなった。ひそかに尊敬していた歌手で
亡くなる直前まで歌っていたという。90の卒寿の記念アルバムを発売したというから
何を言わんかな、しかも彼の高音の美声は老いてからもキーを下げなかったというのも
生涯を通じて練習に励みますます聴衆を魅力していたのだろう。これは驚きの連続だが
大御所を見習って自分もそうありたいと心底おもう。自分が昭和24年に上京したころ
ラジオから「帰り船」が流れていた。♪波の背に背に揺られて揺れて霞む故国の小島の
沖じゃ・・日本が戦争に負けて多くの日本兵が戦地から内地に引き上げてくる復員船の
状況と兵士たちの心情が歌われているが当時は帰国する人を迎える岸壁に「帰り船」が
流されていたという。父や夫の帰りを待った家族には、この歌でどれほど慰められたか
察するに余りある。小僧の先輩たちにも戦地からの復員者がいて仕事でミシンに座り
帽子を縫いながらこの歌を聴いて涙を浮かべていた人もいた。戦争に負けた悔しさと
戦後の混乱と情景をこんなに表した歌もないだろう。愛称・バタヤンこと田畑義男は
3歳の時に父を亡くし大正14年に一家とともに大阪に出て小学校3年の半ばで中退し
赤貧のため慢性的な栄養失調で、そのうえトラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。
名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公するなどの想像を絶する苦労を重ねたが
歌が好きでたまたま訪れたコンクールで優勝し音楽の世界で成功したのは順当だろう。
河原で一つの歌を何千回も歌ったという少年時代から90歳を前にしてのコンサートや
新曲挑戦まで貫いたのも自然体という。彼の言葉「僕はね、歌は上手に歌うんやない、
淡々と、あくまで自然に正直に。それを心がけた」歌謡曲と音楽のジャンルは違っても
生涯学習したバタヤンの素晴らしい情熱を、ぜひとも継承したいと願っている。
昭和がまた遠くなっていく・・ ご冥福を祈る。合掌。