隠居の独り言(1170)

人類史は戦いという命を賭けての葛藤で劇的に変化していく。日本史も例外じゃない。
遠くは、壬申の乱、源平の合戦、元寇南北朝の争い、応仁の乱関ヶ原の合戦など・・
しかも戦いの発端は予期せぬ出来事や偶然の積み重ねで起きることの多いのも事実だ。
江戸末期の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争で一応日本の大きな内戦はここで終わる。
鎖国で国を閉ざした日本が黒船来航で太平の夢が覚め幕府体制が崩れるのは必至だが
どのような形であれ欧米の植民地になることを避けられたのは日本人の誇りであった。
15代将軍慶喜小泉孝太郎)が大政奉還をして鳥羽伏見で徳川方が惨敗したとしても
容保(綾野剛)は軍事的な最終勝利を確信していた。京・大阪だけでなく海軍力があり
さらに江戸には旗本八万騎が控え関東・東北の諸侯がいる。質・量共にどこからみても
薩長に対し軍事力には悲観的な材料が見当たらなかった。思想的にもあれほど帝に尽し
京の治安を守ったのは会津ではなかったか。容保の政治哲学は一時的に策謀が勝っても
やがて至誠なる者が勝つものと信じ切っていた。しかし容保の悲劇はあまりにも軽薄で
優柔不断な慶喜を主君に持ったことだった。鳥羽伏見で負ければ「千騎戦死して一騎に
なるとも断固退くべからず」と大声で命じ、その反対に容保に一緒に江戸へ逃げようと
浮き足たって大阪城から逃げ出す。会津や徳川軍は主君から捨てられたのも同然だった。
慶喜はまたも豹変し「京に恭順する」と言い、それでいて箱根の関で抗戦の戦略を言う。
そして最後は容保と会津を邪魔者にした。事実、会津藩は長州と蛤御門の変で直接戦い
長州人や薩長に付いた官軍から恨まれていたことは宿命的だったといえる。戊辰戦争
本来なら戦わずともいいはずだが長州の会津に対しての復讐というべき戦争であった。
敗戦処理会津の家老・神保修理斉藤工)が官軍への恭順を容保に進言したために
責任を取らされ切腹を命じられたのは実に理不尽で会津の逸材を無くしたのは惜しい。
ドラマは八重(綾瀬はるか)の兄・覚馬(西島秀俊)は薩摩兵に捕らわれ幽閉される。
鳥羽伏見で会津軍は苦戦を強いられていた。戦況も甚だ思わしくなく初陣した弟・三郎
工藤阿須加)も敵弾に斃れてしまう。そのころ会津の八重は、みね(豊嶋花)と共に
参拝した神社で神保修理の妻・雪(芦名星)に会う。雪は一心に夫の無事を祈っていた。
古今東西問わず戦争はいつも家来たちの犠牲のうえに成り立っている。