隠居の独り言(1171)

先日、横浜市保育所の待機児童が解消されたという報道は働く女性には朗報だろう。
でも全国的には保育所が不足しているという。保育士の絶対数も足りなくなっている。
女性が社会に進出しても育児休暇が取れないため待機児童も相当数いると報じている。
でも母親にとって子にとって保育という親子の情愛を他人に任せるのに疑問符が残る。
人類がこの世に出現して百万年といわれるが人も哺乳類であり生まれて一定の期間は
ひたすら肌身離さず子供を抱いて育てた。肌身を接することは理屈を超えた情であり
子育ての絶対的な基本と思う。母親がひたすら抱いているべき時期に子を抱かず授乳や
おしめ交換も人任せでは母親としての情を子に伝えられるのだろうか。仕事も大事だが
大切なものを失ってはいないか。世の中が変わるというのは母性本能の変化を憂慮する。
少子化の傾向でいえば保育所は他の子供と接するので社会性を磨くのはメリットでも
本来なら多くの兄弟と生活をするのがベターだが今は望むべくもない。最近の事件簿の
幼児虐待や、いじめも愛情の欠如であり神から授かった母性本能を失ったのが遠因だ。
人間社会は長い間、男が生活費を稼ぎ女が家を守るのが習慣だった。それは男と女の
分担であり責任であった。身体的な構造も男は女を力強く抱き愛を伝え、女は子を産み
授乳する仕組みになっている。どんなに世の中が変わっても男性には出産は不可能だし
女性には力仕事が出来ない。子への教育は強さを父が教え優しさを母が教える基本的な
家庭環境が失われている気がしてならない。最近の「男女雇用機会均等法」にもどこか
無理があるのではないか?譬え法の下では男女が平等といっても男の役目、女の役目を
果たさなくてはならない。学齢に達するまでの子供を持つ母親の外に出る仕事は反対だ。
最近のイクメンの言葉が流行っていても男の育児に限界がある。女性特有の肌の温もり
優しさは幼児にとって欠かせないものだが理屈を超えた育児の感触は母親に敵わない。
社会の仕組みも、例えば幼児を抱える家庭は男性の給料に育児手当を充分に国が補填し
女性は保育に専念する。女性の保育が終われば社会に復帰できるシステムを考えよう。
社会がどのように変わろうと男女の分担を疎かにしてはならない。