隠居の独り言(1187)

参院選も終わったが一票の格差がいつも問題を醸し出す。今回参院選も格差を巡り
弁護士らのグループは全選挙区の選挙無効を求め全国の高裁支部に一斉提訴した。
「定数配分は人口に比例せず法の下の平等を定めた憲法に違反する」と主張して、
公職選挙法の規定に基づき提訴から100日以内の判決を求めている。参院選では
今回の選挙で議員1人当たりの有権者数は最も多い北海道が約115万人、最少の
鳥取県は約24万人で、最大4.77倍の格差が生じていたという。人口に比例しない
選挙区割りは憲法が保障する「法の下の平等」に反しており選挙は無効にすべきだと
主張している。でもこの訴訟が正論なのだろうが自分は多少の違和感を抱いている。
そもそも世の中は不平等に出来ている。一票の格差がそれほど大事なのだろうか?
国連は人口4万人足らずのモナコと人口13億人もいるインドと投票では同じ一票だ。
でも米英仏露中の五か国は安保理という拒否権を行使できる重い一票を持っている。
人口の平等より国家の平等を重んじる国連の趣旨でもこれは大国主義に他ならない。
人は生まれながらにして不平等で資産家に生まれても貧家に生まれてもその日から
環境の違いで暮らさなければならない。生まれながらのイケメン、ブオトコも不平等で
イケメンはどこでもモテルがブオトコは悔しいヤキモチを持ち続けなければならない。
そもそも平等というのも定義はあいまいであり単に人道的ムードのようなものだろう。
プロ野球の元南海の野村克也は元巨人の王貞治長嶋茂雄を指して「王や長嶋が
ヒマワリならオレはひっそり日本海に咲く月見草」の名言を言ったが良い意にとれば
社会が不平等だからこそ競争があり発展が伴う。子供の頃の食べ物が無かった時代、
たまの配給で魚が一匹手に入ったときは親父が平然と食べた。そこには民主主義の
平等精神は存在せず家族は当然に戸主を貴び最も大切にした。さて自分が戸主に
なったとき下手な民主化の影響で家族の権利の大きさは戸主と子供はそれぞれ一票、
でもヤマノカミは安保理のような重い一票を持ち例え浅薄凡庸な意向にも従わないと
家庭の平和が保てない。一票の格差と重さはなにも政治の世界に限ったことでない。