隠居の独り言(1190)

お盆の季節になった。東京のお盆は地方と違って一か月早かったが、お盆になると
亡くなった方があの世からこの世に一時帰宅される時と信じられている。祖先の霊を
慰め供養し、お墓には野菜や果物などを供え僧侶に読経してもらう習慣が定着した。
自分もお盆のころになると今は亡き父母を偲ぶのが習いだが父は26年前の冬の朝、
突然倒れて帰らぬ人になった。あまりの突然に今でも父は死んだ意識は無いだろう。
母は92歳まで生きたが50代でスモン病に侵され長期間のベッド生活を強いられた。
母の死も冬だったが生前両親は夫婦仲が良かったので終末期も似て本望だったろう。
両親はともに裕福な家に育ったが戦争や諸々の不幸が重なって晩年は不幸だった。
鴨長明方丈記の冒頭は「ゆく川の流れは絶えずして. ゆく川の流れは絶えずして 、
しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮かぶ、うたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しく とどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし・」
時は一刻の休みなしに絶え間なく流れていく・・・そしていつか人は老いて死んでいく。
お盆の日に両親を偲ぶということは順序からして次は自分の番になったことになる。
死に方は生き方と云われるがその人がどう生きたかによって人生の価値が決まる。
そして死に方を考えることはその人の美意識の一つだ。武士道に徹した生粋の侍は
恥の文化を知り自らの切腹すら潔しとし自分の死の演出とした。他愛のないことだが
大戦末期、軍国少年だった自分は特攻隊で祖国のため敵艦隊に向け自爆したかった。
今になって当時の特攻隊員の気持ちをあれこれ言う資格はないが彼等にとり一番の
死に花であったろう。かつての軍国少年は凡人に成り下がり勇気も気概も失せたが
時を経て傘寿を過ぎ老残の虚しき今に至れば漠然とながらも死を意識しはじめている。
「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」西行は春の死を望んだが
願いが叶って釈尊入滅の三月、満月の夜に亡くなったという。自分の死の美意識は
終末は晩秋の頃がいい。そして時は薄暮がいい。晩秋のように人生の残光が弱まり
薄暮の闇が迫るとともにそっと生涯を閉じれば最高だ。美意識は最後まで持ちたい。


ps ブログはしばらく夏休みします。