隠居の独り言(1197)

大河ドラマ「八重の桜」のタイトルバックも今までの戊辰戦争のクライマックスシーンが
すっかり変わり明るい映像になったのは幕末から明治への時代の変化を表している。
自分のお気に入りは巻頭の美しい桜と、ラストシーンでの緑の大地でピンクの和傘が
次々と開くシーンでここ数年見た大河のタイトルバックでは一番だと自己採点している。
時代は混乱の幕末を経て明治に入り政府のはじめた施政方針は幕末期に締結した
外国との不平等条約を改めること、それには産業を興隆し外国と戦える戦力を持ち
一般には教育を施す。つまり日本は富国強兵路線を取らざるを得ない流れであった。
国内的には廃藩置県身分制度の改革、対外的には外国からの脅威行動に備える。
有史以来の時代の変化に、ある者は時流に乗り、ある者は変化から取り残されていく。
教育の一環で設立された「新英学校、女紅場」に今は京に住む八重(綾瀬はるか)は
兄(西島秀俊)の推挙で通いはじめた。学校では英語を教える英学校と女性としての
礼儀作法を教える女紅場の二部門だった。八重は学校の舎監役を務めるいっぽうで
生徒に機織りや裁縫を教え礼儀作法も教えた。八重の向学心も強くて英語を懸命に
学んだという。女紅場からは公務員として八重は月給を受け取り明治初期における
最先端のキャリアウーマンだった。その経験がのちに新島襄オダギリジョー)を知り
結婚へと進む大きな要因になっていく。1873年(明治7年)に政府はキリシタン禁制の
高札撤去の太政官布告を出したので欧米の進んだ文化や自由・平等・博愛といった
近代的な市民倫理と結びつき全国に広がっていく。それでも当時の日本、とくに神社
仏閣の多い京都ではキリスト教への抵抗感が根強くて、八重もキリスト教への傾倒を
理由に女紅場学校を解雇されてしまう。八重と結婚する新島襄はかつて国禁を犯し
日本を脱国し10年間に亘りアメリカ、欧州で学びキリスト教の洗礼を受け帰国する。
そして国内外の多くの人の協力を得て1875(明治8)年になって京都に同志社大学
前身となる同志社英学校を設立する。大河は明治の表面的だけしか映していないが
当時の庶民の生活は江戸時代と同じの貧しい暮らしであったことを忘れてならない。
その辺りのギャップを分かりやすく説明できれば「八重の桜」の中身が濃いものになる。