隠居の独り言(1206)

「カルテット花火」は10月29日(火)にコンサートを予定しているのでメンバー一同は
本番に向けて練習に余念がない。プログラムの予定曲は未発表だが20曲ほど歌う。
殆どがラテンの情熱的な歌の数々で、恋に身を焦がしたり、失恋したり、そんな歌を
人生豊かな、いい齢をした4人組が演奏するのだから円熟味ある演奏ができると思う。
実際に恋をするのは若い青春の瑞々しさだが、恋い焦がれる心情を音楽で表すには
メンバーそれぞれが未だ心の感性に光沢があり枯れていないと自負しているからだ。
日本人は年齢を重ねて枯れるのが美徳のように思われてきたけれど、とんでもない!
大いなる勘違いで枯淡の境地なんて真っ平御免だ!枯れた芸術家なんていうものは
ようするに耄碌したということで、そんな老人は愛の歌の意味なんてとうに忘れている。
「誰も知ってくれない、僕がこんなに苦しみ、泣くことも出来ないのに、君は去っていく」
プログラムの中のPerfidia(不実)という歌だが、こんな悲恋の歌は経験なくて歌えない。
人生のゴールが近い人間だからこそ切実にPerfidiaが歌えると思う。つまり恋の歌は
喜びや悲しみの体験を振り返って表現されるものであって、実際に青春まっただ中の
恋人たちは気持ちと体は本能的な夢の中であり、しみじみと恋の美しさを語れるには
愛の葛藤が過ぎ、ある程度の時間が必要だ。中には恋のトラブルで深い傷を負って
恋の歌が生まれるものもある。傷の中から成長するのが人間であり芸術が生まれる。
「光背」という言葉がある。辞書をひくと仏像の背後につける光明を表す装飾とある。
つまり後光のことを指しているが人が持つオーラのことだろう。それぞれが気付かず
持っているエネルギーは年老いても枯れることはない。人生でオーラを発することなく
穏やかに目立たないで生を終える人の多いのも事実だ。それは不幸でも不運でもなく
つましい生活に満足し平穏で軌道から外れることない人生が理想なのかも知れない。
しかし世間には好むと好まざるに拘わらずオーラのエネルギーを持っている人も多い。
それぞれ悲喜こもごもの人生を味わい、未だ多感なエネルギー溢れる4人の有志が
昨年「カルテット花火」を結成した。その集大成といえる秋のコンサートに乞期待!