隠居の独り言(1215)

昭和がまた遠くなった。野球の神様といわれ監督としても巨人V9の黄金期を築いた
川上哲治氏と、昭和歌謡界の新世界を創作した不世出の女流歌人岩谷時子さんが
相次いで帰らぬ人となった。敗戦直後の荒廃と飢餓と混乱を経験した自分にとっても
野球は特別な存在だった。たまに通う学校で学友達は丸いものなら何でもボールに
見立てキャッチボールをし、木の枝でもバットに見立ててルールのない野球を真似た。
原っぱで今では死語になってしまった草野球に興じたあの純粋なスポーツは既になく
それは野球に憧憬を抱いただけでなく少年達は敗戦で壊された精神の再生を野球に
託して成長しようと賭けていたのかも知れない。今に思えばその時だからこそ出来た
野球ファンとしての自負ともいえる。別な観点で言えば今の70歳代以上の人だけの
真に野球を信じ野球を溺愛した世代に持つ確信の自負だ。我らの野球石器時代から
約10年を経て高度成長期の機運と共に野球黄金時代がやってきた。TVの普及で
長島茂雄王貞治は常に茶の間にあり、指揮をする川上哲治は神様の存在であった。
あれからウン十年、素朴に愛した野球ファンは遠く行ってしまった。神はもう戻らない。


川上哲治が巨人の主力バッターとして打点王本塁打王として燦然を輝いていた頃、
歌謡界でそれまで七五調が多かった歌詞の世界に新風を吹き込んだ作詞家が出た。
宝塚歌劇場編集部で働いていた岩谷時子は当時タカラジェンヌ越路吹雪と出会い
越路が宝塚を辞め歌手になりたいと相談したとき、岩谷も退職を決意して共に上京し、
越路の付き人をしながら作詞の仕事もしたが、たまたま歌手の二葉あき子の代役で
越路が指名され急遽シャンソン歌手エディット・ピアフの「愛の讃歌」を歌うことになる。
人生はわからない。岩谷は作詞の玄人でない。作曲家の黛敏郎の説明を聞きながら、
ピアノの上で「あなたの燃える手で」と後に大ヒットする詞を書いたという。「頬と頬よせ
燃える口づけ、かわす喜び」歌詞経験が無かったからこそ新鮮な詩が生まれたと思う。
今では結婚式の定番だ。あとは言うまでもない。越路だけでなく西田佐知子、岸洋子
ザ・ピーナツ、布施明、園まり、梓みちよピンキーとキラーズ加山雄三佐良直美
本田美奈子郷ひろみ等きりがない。もし岩谷時子がいなかったら歌手達だけでなく
謡曲が味気なく存在そのものが危うくなっていたろう。本当に昭和が遠くになったと
偉大な二人の訃報を聞き、ますますその感を深くする。合掌。