隠居の独り言(1227)

今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」も残すところ、あと二回となって年末の感がする。
亡き父母は明治と大正の生まれだが、主人公の新島八重綾瀬はるか)と同世代に
生きていたと思うと親近感と感慨もひとしおだ。しかし八重は惜しくも自分が生まれる
一年前に87歳の生涯を終えているので少し残念な気がする。叔父も同志社大学
通ったこともあったので(戦時中だったので中退)それら含めてドラマへの思いが強い。
ドラマは明治初期の庶民の暮らしぶりが映し出されているが、当時の日本は未だに
世界では貧乏な発展途上国だったので劇中の洋服姿は滅多に見られなかったと思う。
ドラマでは八重は襄(オダギリジョー)と日々洋式の暮らしをしているが実際は家具も道具も
洋服も日本製とは考えられず使っていたとしたら殆ど輸入品だったに違いない。
でも劇中で見る人力車は日本の発明品であり考案されたのも明治2年となっている。
人力車は身近な乗り物として大流行したといわれている。庶民にとり明治維新までの
交通手段はもっぱら徒歩が中心で馬や駕籠に乗るのは身分高い人や金持ちだった。
人力車が庶民に歓迎されたのは運賃がリーズナブルだったこと、そして今まで身分の
低い立場だった人が、人を見下ろしながら車を走らせる気分は何より身分制度からの
解放感を味わう喜びと、明るい時代の到来を予感させる象徴的な乗り物として捉えた。
維新の象徴には江戸時代の瓦版から発達した新聞で、新政府の政策の一環として
発行されたし、電信、鉄道の開通、郵便の発達で、人々は見聞を広めて世界を知った。
西洋の音楽もこのころ日本に、もたらされた。明治12年に文部省は東京音楽学校
創設(現芸大)し「小学唱歌集」が発表された。西洋は七音階だが日本伝統の音階は
雅楽箏曲、三味などが五音階なので、最初は西洋音楽の中から五音階の「蝶々」
蛍の光」「庭の千草」など初心者にも歌いやすい曲から編纂された。音楽のみならず
文学、絵画、芸術の他に衣食住、社会制度、習慣まで大きく変化した文明開化だった。
ドラマのテーマは「グッバイ、また会わん」だが、関東に向かった襄は、同志社大学
設立するため募金活動をしていたが体調を崩してしまい大磯の旅館で療養していた。
見舞いに訪れた徳富蘇峰(中村蒼)は八重に病状を伝えるべきだと言うが襄は断固と
それを拒む。一方、京都で八重が襄からのはがきの文字で夫の体調に異変に気付く。
すでに襄の病状を知っていた覚馬(西島秀俊)から事情を聞き予感が真実だったことを
知った八重は急ぎ大磯へ向かうが八重の看病空しく襄は遂に天国へ召されていった。