隠居の独り言(1228)

それにしても世の中、便利になり世界も小さくなったものだ。思えば、ほんの一昔前は
海外へ旅行するときは友人や親戚縁者が集まって壮行会などして旅の無事と成功を
祈ったものだった。ウン十年前なので年月は忘れているが姫路の叔父がユネスコ
委員をしていたとき「姫路城の世界遺産登録」のためニューヨークの国連へ出張の際、
在京の親戚縁者が集まって叔父の業績と壮行を喜び激励した反面に旅への不安で
縁者は異口同音に「気をつけて・」の言葉を付け加えていた。それほど世界への旅は
未知のものであり待つものには心配が付きまとった。だが今では簡単に国内旅行の
感覚で気軽に成田から飛び去ってしまう。先月二人の友人が地球の裏側へ旅をした。
一人は元ドイツ大使館員でヨーロッパ各地へ観光、一人は以前、赴任地のメキシコへ。
でも便利になった反面、遠い海外への旅行に出かける際に、詩情のない無味乾燥な
ものになっている気がしてならない。飛行機が今ほど便利に利用されなかった以前は
遠くへ旅立つときの別れの場所は駅のプラットホームだった。自分が15歳で初めて
上京した際も父母や兄弟、友人たちが見送ってくれ自分はデッキからみんなの姿が
見えなくなるまで別れの手をちぎれるほど振った。今でも二葉あき子の「夜のプラット
ホーム」を聞くと胸が熱くなる。思えば汽車のデッキはとても危険なので無くなるのは
仕方ないが一抹の寂寥感を覚える。現代では親しい人の遠く旅たつ別れのシーンは、
駅のホームから飛行場へと変わっていった。空港の展望台から大空遥かに飛び去る
飛行機を見ているだけで詩的な情趣も私情のさしはさむ余地が少なくなってしまった。
昔の映画を思い出しても「旅情」「終着駅」「昼下がりの情事」のラストシーンは
最後の抱擁のあと蒸気機関車が徐々に動き出し、それとともに彼女は小走りに列車を追う。
デッキに立つ彼は手を差し伸べて再び彼女を抱き上げるシーンは感動と涙を誘うが、
それらは駅のプラットホームと蒸気機関車の発車の汽笛と滑り出しの動作が相まって
始めて成立する場面であって哀愁シーンは交通機関の発達とともに無くなっていった。
駅だけでなく「シェーン」のラストシーンも忘れ難い。乗馬で去っていく主人公に少年が
シェーン!と叫びながら後を追う映像に「遥かなる山の呼び声」の主題歌が流れるが
憎いほど素晴らしい。そんな情緒溢れる昔の別れのシーンも時が経つほどに記憶も
消えていくだろう。便利さは重宝だがそれに反比例して人の心は貧しいものなっていく。
20-21世紀の文明の進歩と情緒の変遷を体験し今を生きた我が人生に感謝している。