隠居の独り言(1237)

今年もブログを綴りはじめる。【めでたさも中くらいなりおらが春】 小林一茶のように
歳を重ねるごと寿ぐべき年の初めの正月気分も薄らいでいく。孫たちが「お爺ちゃん
おめでとう」と祝ってくれるのはとても嬉しいが、一茶の実感は爺になって分かってくる。
爺はますます歳を重ねて、最近は日本の将来を憂える気持ちが次第になくなってきた。
孫たちの成長をみるごとに、これからは君たちの時代であり、しっかりしてくれるだろう。
東京五輪決定、富士山世界遺産アベノミクス景気など、昨年は低迷していた日本が
久しぶりに明るさを取り戻した感じだが、爺は東京五輪6年後に生きているだろうか、
富士登山の体力は既になく、アベノミクスに便乗することも失せていく。よく人は戦争、
飢餓、震災、津波など語り継がねばならないというが、体験というのは当人でさえ
年々歳々記憶が薄れていく。まして他人の恐ろしさ、辛さの話など移し植えられない。
戦争や震災の悲劇を聞き、ただそれだけで涙を共にしても災難が再び襲ってこない
保証はどこにもない。人間に欲があるかぎり、自然に鼓動があるかぎり悲劇が起きる。
自分が生まれた1933年にドイツでナチスヒトラーが首相になったがドイツ国民の
圧倒的支持があったからで、今になってヒトラーを極悪人に扱うドイツ人は何なのか。
人が行く方向に自分も行くというのはかなり無謀で無責任であるのを忘れていないか。
日本列島の自然は世界に希な素晴らしさを持っている。美しい山河あり、青い海あり、
四季の移ろいも捨てがたい。しかしどこまでも広大な大陸と違って地球の鼓動が傍で
蠢いている。それは地震であり、噴火であり、津波の禍は素敵な列島に住める引換だ。
戦争も災害も将来に必ず起きる。人類が存在するかぎり、地球に住むかぎり、それは
避けられないことの覚悟と備えが必要だ。戦争に関して平和憲法があれば大丈夫と
のたまう能天気な人は何故近隣諸国が日本の領土を蝕んでいるかを考えて欲しいし、
自然災害に関して人はまるで無力でありコンクリートよりも逃げる術から考えて欲しい。
新しい年を迎えて、今年も有限の生命の時間をいつも大切に使いたいと願っています。