隠居の独り言(1240)

昨13日は成人式で着飾ったハタチの若者で普段とは違った街の風景は明るくなった。
東京では朝から雲一片もなく素晴らしい青空で、お天気も彼らを微笑ましく祝っている。
自分の成人式は50年前にあたるが出席できなかった。当時は帽子屋の住み込みの
小僧でその日も仕事をしていた。小僧の休日は月に一度で「第三日曜日」だけだった。
成人式という祝日は昭和23年に制定されたはずで当然に親方のところに成人式の
招待状が届いていただろうが誰も知らせてくれなかった。今と違い、さほど成人式に
関心を払わない時代だった。唯一、母から手紙で「お前もハタチになったね。これから
大人として頑張るんだよ」と励ましてくれたが、この時期、当時を思い出し胸が熱くなる。
考えれば成人式は一生に一度だけで、国家が「公」に祝ってくれる大切な日なのだが
小僧にとっては成人になるのは手に職をつけ、一人前になったときが成人の日だった。
だから今も自分の観念の中の成人の日は独立した27歳11月15日だと思っている。
いまや成人式とは女子の着物の品評会のようで朝早くから美容院で化粧や着付けで
お披露目で、男子も同じく派手な羽織袴で仲間たちと、あてどもなくそぞろ歩いている。
以前は荒れた成人式で物議を醸し出したこともあったが気分は変わっていないだろう。
一生で一回だけの祭典だから許せるが本来の成人の意をどう捉えているのだろうか。
彼らを送り出している親たちも砂糖のように甘いが、彼らがヴァーチャル・リアリテイの
手軽な呪縛から抜け出して現実の苦く苦しい人生を歩んでいく勇気を持っているのか。
今回起きた川崎の脱走犯も成人になったばかりなのに現実回避派の張本人といえる。
同じハタチでも中には真剣に学び、立派に働いている新成人もいるが、暦の上では
ハタチでも心が幼稚のまま体ばかり大きくなった成人が多い。現実の苦労と手応えは
重いもので、そこに気付いてくれることを願うばかりだ。いつまでも親のスネを齧って
家からは巣離れも出来ず、いつの間にか自分で何も決められない人間に育っている。
チャラチャラ綺麗なオベベ着て街を歩く「成人」とやらの人種はいつから現れただろう。
ちなみに戦前はハタチになると徴兵制で男は兵役に就き大人の階段を登っていった。
時代の違いといえばそれまでだが平成の成人よ!せめて大人の自覚は持って欲しい。