隠居の独り言(1248)

今日は「北方領土の日」。1855年2月7日、伊豆・下田で日露通好条約が調印され
この条約によって日露両国の国境線が択捉島とウルップ島の間に平和裏に定められ、
北方四島が日本の領土として初めて国際的にも明確になった。その四島をロシアが
戦後になって不法占拠し現在も支配中なのは周知の通りだが、その悔しさはさておき、
同日に開かれるソチ五輪開会式に安倍総理が出席することになった。五輪開会式は
開催国と懇意な国の首脳が集う場であるのに今回はオバマ米大統領やヨーロッパの
主要国首脳達も欠席を通告してプーチンの威信も傷ついたが、そんな事情も絡んで
プーチンの顔を立て、安倍総理が出席を決めたことは領土交渉にも弾みがつくだろう。
といって楽観は禁物だ。いくらプーチン安倍総理と仲良くなって日本の要求通りに
交渉が進めば自分の立場が危うくなる。長年に亘り、ロシアの主張する領土問題とは
歯舞・色丹、二島を返還して終わり。それが今まで一貫してきた。今更変えないだろう。
ここにきて、領土をロシアから持ち出したのは日本に天然ガス、石油を売りたいからで
プーチンの心が見え透いている。19世紀の帝政ロシアの時代から日本は何度となく
煮え湯を飲まされ、侵略されたことを忘れてはならない。今までの日露関係の歴史を
今思い出すべきだ。明治2年政府は江戸時代初期より200年以上日本人が住んだ
エゾ地(北蝦夷)を樺太と改称した。ロシア人の入る前に伊能忠敬間宮林蔵たちが
現地の測量した実績を残しているが、結論を言えば明治8年樺太千島交換条約で
樺太を取られてしまった。明治政府の役人も弱腰だった。恫喝されれば逃げ腰になり
領土意識も希薄だった。ロシアの強い軍事力をバックに譲歩させられた結果といえる。
日露戦争に勝っても樺太全島を取り返すことはできなかった。北方領土の返還交渉も
本来ならば平和裏の交換条約で手にした千島列島全土の要求から入ればいいのに
日本は最初から四島に絞るから足元見られて二島だけになる。情けない日本外交だ。
日清、日露の戦争後もノモンハン事件、不可侵条約破棄、満州侵略、民間人へ暴虐、
シベリア日本人抑留と、列挙しただけでも筆舌に尽くし難い屈辱と被害を被っている。
ロシアは信用できない。そして嫌らしいのは中国で「安倍総理開会式出席」の情報が
伝わると日露接近を警戒して、すぐ習近平主席も出席すると発表したが国益をかけた
外交戦の熾烈さだ。プーチンは日中を天秤にかけるだろうが悔しいけれど日本もまた
ロシアをカードとして利用しなければならない。スポーツ界は五輪一色だが、その裏で
一筋縄でいかない相手との交渉で難題が埋めいている。