隠居の独り言(1250)

歳のことは、あまり書きたくないが今更隠しても仕方ない。先だっては「親父バトル」に
出演するにあたってNHKの方から質問された。「お元気で長生きの秘訣は?」それに
「特にないですが規則的な生活ですかね・・」と、優等生的な返事をしたが、とりあえず
今は健康で仕事も趣味も相変わらずだが、しかし長生きだけがいいというものでない。
ささやかながら80歳の老残の身で今も現役でいられることはありがたいとは思うが
本心を申せば今の仕事を引退し残り少ない人生を自分存分に生きたいと願っている。
でも事情が許さない。今まで苦労を共にしてきた同年輩の働く職人は国民年金だけで
食べていけない。生涯現役という言葉の裏に已むに已まれぬ事情が絡むのも事実で
役人や企業に勤めた人には感じないだろうが年金の超不公平に職人は泣いている。
毎日の暮らしの中で老いをつくづくと感じるようになったのは傘寿の坂を越えてからで
物忘れがひどくなってきた。とくにモノや人の名前が即座に出てこない。ヤマノカミとの
会話も「ほら、あの人・・あの・・ナニの・・・エーと・・・アレ・・」それに対するヤマノカミも
似たようなもので「あーあれ・・」で老夫婦は代名詞だけで本題を残して会話は終わる。
実際はイライラ、不快の連続だが齢からくる頭の老化は仕方ない。そしてしばらくして
トイレに入った途端「そうだ!○○だ!」こちらは胸のつかえが取れてもタイミング遅し。
昔の友人の名が出てこないときの昨年暮れ、喪中はがきを頂いて思い出したという、
笑うに笑えない実の体験があった。こんなことは、年中行事で自分の老化は笑えるが
気付くと深刻な問題になるかもしれない。新聞等によると最近とみに増えているのが
物忘れが痴呆になり更に進んでやがてアルツハイマーになっていくというプロセスは
聞いただけで憂鬱になる。誰も長生き願望はあるが、それは心身共に健康あっての
長生きであり病気や怪我等でベッドに寝たきりになって誰かに介護されることになると
単に生きているだけで心がムナシクおもしろくない。長生きはいいことばかりじゃない。
それは長生きすればするほど友を失うということ。長生きは香典ばかりは取られるが
さて自分の番には友人も知人も少なく元が取れない。いやいや、べつにサモシイ話を
言っているわけでない。香典なるもの、あれは死者に対し哀悼のしるしとともに自分が
生き残った感謝料だ。あの友、この友との交流の歴史を語り合える旧友たちと自分の
人生の一部も削除され、二人だけの秘話も失われてしまうのが悲しい。そんなことが
この歳になってやっと分かってくる。来年の2月11日は母の13回忌。