隠居の独り言(1252)

この時期、受験生と家族は合格合否の悲喜交々の人間模様が繰り広げられている。
その昔、自分が小僧時代の昭和20-40年代には小学校から大学生まで男子学生の
全てが制服制帽で統一されていた。合格発表のこの時期は帽子屋の掻き入れ時で
業者は猫の手も借りて合格発表日の朝には学校の正門あたりで「にわか露天商」に
なって「合格、おめでとうございます。制帽をお買い求めください」と声を枯らしていた。
小僧も当然に学校の発表日に合わせて朝早くから奮闘した。合格した生徒と家族は
満面の笑みを浮かべて学帽を買い求めていた情景は今も忘れない。お客のなかには
チップを下さった人もいた。苦労が報いられた受験生の喜びが直に伝わる瞬間だった。
何ヶ月もかけて帽子を作りストックしていた商品が完全に捌けて小僧の苦労も飛んだ。
人生模様の一コマだが合格はいいものだ。受験生の人生が大きく飛躍した日だった。
大学の制帽は大まかに分け四つの型がある。一高型、三高型、慶應型、早稲田型で、
一高型は帽子の天井部と腰の接ぎ目にマチという線が入っている。主に国立大学の
生徒が被っていた。三高型は天井部と腰の接ぎ目にマチがなく、そこを糸でつまんで
12箇所の窪みをつけていた。主に私立大学や小中高生が多く、量的には最多だろう。
慶應型は丸帽、糸のつまみも16箇所で庇の付けかたも腰と直角にするのが特徴だ。
早稲田型は所謂、角帽で表地の腰部分は一枚ハギで、縫製の仕方も他と違っていた。
幼稚園の制帽にも多く使われたし、漫画「ふくちゃん」も早稲田型を被って人気だった。
街を歩いていても制服や制帽の形や徽章を見ただけでどこの学生とすぐに分かった。
学生は誰にでも学生と認知されたし、もし学生の働く姿を見れば苦学生と同情された。
それがいつの日か無くなって学生の服装の自由化が始まった。理由は分からないが
それぞれの個性を尊重するためという。何か思想的な感がしないでもないが、世間の
流れなのだろう。でも実際を見ると学生の多くが身なりの良いといえないズボンを履き
ヘソ丸出しのTシャツもいれば、破れたジーンズから膝小僧を覗かせているのもいる。
「個性」といえば聞こえがいいが皆似たような格好なのだから醜悪な制服ではないか。
自由化の何が個性だ!学生は元の制服・制帽に着替えて勉学に励んで欲しいと思う。
そして、そんな学生たちも就職シーズンになるとリクルート・ルックの服装に着替える。
男は黒っぽいスーツに黄色のネクタイ、女も黒のスーツにブラウスは白で髪型も同じ。
衣服を疎かに考えてはいけない。きちんとした服装は時と所を弁える意識が生まれる。