隠居の独り言(1255)

「熱血オヤジバトル」が終わった翌日、東京とは打って変わったような陽春の日差しに
満ち溢れた小倉の町をメンバーたちと散策した。春の陽気に映える小倉城は美しい。
みんな子供の遠足のように普段を忘れて春の到来を満喫できた。折から庭園の中で
結婚式の花婿花嫁さんを見かけたが何とも優雅な姿に気持ちまで春爛漫を味わった。
松本清張記念館」に寄った。清張は自分の最も尊敬し最も親近覚える作家の一人だ。
生家が貧しかったために尋常高等小学校しか学校へ通っていない。むろん新刊書を
買う余裕はなく本は貸本屋で借りるか勤め帰りに書店で立ち読みしたという。その頃
15-6歳、今なら中学生だが愛読したのは芥川龍之介菊池寛岸田國士森鷗外
夏目漱石田山花袋泉鏡花など新潮社版の世界文学全集を手当たり次第に読み
漁ったというから凄い。そこへくると今の中高生は優れた作家の作品を読んだろうか。
読書もしないでスマホに夢中で友人との会話もメールやラインなどで済ましてしまう。
現代の日本語の貧しさは暗闇の世界を彷徨っている。清張の貧しさのために職場を
転々と変えた若き日の苦しみは他人事と思えないので感慨をもって展示を見ていた。
何度目かの職で版下職人となり、朝日新聞支社が門司から小倉に社屋を移転した時、
下請け契約を得るのに成功した。その頃処女作「西郷札」を執筆し直木賞候補となり
作家の道を進んだ生涯だった。清張という人間の基本は若き日の苦労が根幹だろう。
自分も長らく学歴コンプレックスに悩んだが、記念館に展示された清張の一生を見て
心癒されるとともに畏敬を覚える。水上勉吉川英治も無学歴で不滅の名作を生んだ。
酒呑みには美味しい定番「ジョニ黒」の創業者ジョン・ウォーカーは15歳で食品店の
経営に着手しウイスキーブレンドを工夫して会社を立ち上げたというからアッパレだ。
松下幸之助だって本田宗一郎だって小学校卒だけで丁稚小僧を経て世界に冠たる
会社を創立した。記念館を出れば柔らかな春の日差しの下で木々の緑が萌えていた。
自分の長年に積もっていた学歴コンプレックスも春の雪のように消えている。努力と
継続は何と世間でメシは食える。何かと世の中は不公平だけれど自分だけの世界を
作るには自分しかいない。この歳でやっと見つけた自分の世界に満足した一日だった。