隠居の独り言(1275)

今は死語になってしまったが以前は「ペンだこ」という言葉があって勉強好きの子供や
大人になってモノを書く職業についた人は指先に「ペンだこ」ができて、それは一種の
誇りでもあった。昔の作家や作曲家には「たこ」がない人などいなかったのではないか。
現代のワープロが発達した時代ではモノを書く人で「ペンだこ」は過去の遺物になった。
指先の「たこ」は職業や趣味で、その一部分だけを継続的に強く押さえてできるもので
自分もギターやベース楽器を嗜んでいるので左手の指の先端に「たこ」ができている。
練習をさぼると「たこ」はすぐに消えて、それから弾く指の痛さは、さぼった罪の代償だ。
バンドの師匠のマヌエルさんは指全体が「たこ」のようでどの指を抑えても筋肉が固く、
どんなにスピードの速い難曲を弾いても確実に美しい音が出るのは「たこ」の歴史が
いかに古く練習に注ぎ込んだ若き日々の鍛錬を物語っている。だから音が素晴らしい。
話を変えるが、悪さをしていた若い時の話、今の指先の健全な音楽の「たこ」と違い
麻雀に日々凝って指に「たこ」ができた。麻雀が嵩じるとイカサマをしたくなってくる。
イカサマの手始めは麻雀牌の裏側の模様や数字を目で見ないで感覚で当てることで
盲牌(もうぱい)という。盲牌ができなければ最初の牌を並べるときにイカサマである
積み込みが上手くできない。ゲームの始めの牌を積むときに自分に有利に運ぶには
盲牌で自分の前の牌を知ることができ相手が牌をつもったときも情勢判断ができる。
でも盲牌が出来るには中指に「たこ」ができるほど牌裏を触らないと覚えられない。
「先づも」は禁手だが、前の人が遅いとつい手が出て牌を積もって覚えて有利になる。
でもこの一人相撲より、麻雀のイカサマの極めつきは悪友と二人で組んで「符牒」を
交わすことだが「符牒」の話は、いつかの機会におき、何ごとも芸を磨くには「たこ」は
避けて通れない。若い日の悪さのイカサマは遠い昔になったが悪友も、ネギを背負った
カモ仲間も鬼籍に入ってしまった。遠い昔の悪さも、もう時効が成立したと勝手に思う。
振り返れば、麻雀の反省と後悔は「カモさん、ごめん」いまさら謝っても彼はもういない。
たかが「たこ」、されど「たこ」は鍛錬の証だ。