隠居の独り言(1276)

明日は「昭和の日」昭和という時代の大半を生きた自分にとって意義のある記念日だ。
昭和の時代は「天長節」とされ昭和14年尋常小学校に入学した頃は祝日の登校で
朝礼で天長節の歌を生徒全員で斉唱した。♪今日のよき日は大君(おおみかみ)の
生まれ賜いしよき日なり・・次に校長先生は漆の箱に入った「教育勅語」をうやうやしく
取り出して読み上げたが、生徒たちは咳ひとつなく直立不動で厳かに聞き入っていた。
式が終わり緊張の解けた後に配られたのは紅白饅頭で美味しかったのを覚えている。
天長節云々はともかくそれは時代の中の風景であり昭和の子供たちは礼儀よかった。
世界史を振り返ってみると昭和の前期つまり20世紀の初頭は世界の国々は無明の
時代だったといえる。植民地時代の後をひいて互いに思いやりなどなく決定的なのは
昭和4年アメリカ株式市場のパニックから怒った大恐慌は世界中の経済が崩壊し
各国は大不況から脱出すべくもがいた。植民地を多く持っていたイギリス、フランスは
工業製品を自分の縄張りに売ることはできたがドイツ、イタリアは植民地が無いので
力づくでも縄張りを持たなくてはならないと「共栄圏」の発想を思いつき日本もそれに
乗った。ドイツはオーストリアポーランドチェコなど併合して共栄圏を作り始めたが
日本は中国の一部を奪って満州国という国家をでっちあげた。以後日本は崩れていく。
当時の日本は世界恐慌といっても、たいした工業製品もなく絹製品や小さな工作品を
細々とアメリカに輸出するくらいの世界から見れば何の取り柄もない小国に過ぎない。
それなのに軍部だけがイキガッテいた。それも陸軍は日露戦争当時の古い軍事力で
海軍は石油で艦船を動かす時代だったので殆どの石油をアメリカから輸入していた。
そんな小さな国が大戦など起こせるはずがない。とにかくどんな事情があったにせよ
あろうことか真珠湾攻撃をしたから驚きを通り越して指導者たちの頭の中を疑いたい。
当然に惨敗をした。その昔、明治初期は綺羅星のように燦めく多くの逸材が生まれた。
その反動か昭和の指導者は粒が小さく軽くなり、そのうえ前を見ることも出来なかった。
そんな昭和に自分は生まれ育った。感化され易い少年期は当然に軍国少年だったが、
一転戦後はアメリカ製民主主義に洗脳された。日本は貶められ昭和という訳分らない
時代を生きた日本人として我々の子孫に謝らなくてはならない。「昭和の日」に思う。