隠居の独り言(1277)

先日オバマ国賓として来日した夜に安倍首相は銀座寿司屋に招待したがオバマ
安倍に「シンゾー」と呼び安倍は「バラク」と返したがアメリカ流の親交の証なのだろう。
子供の頃は友だちの名前は呼び捨てで「おい鈴木」「よう佐藤」などと言いあっていた。
大人になっても呼び捨てにできるのは子供時代の友だけで大人社会に入ってからの
間柄ではありえない。安倍首相のことを子供の頃に可愛がってくれたおばさんの他は
「シンゾーさん」と呼べる人はいないだろう。友達に対して名前を呼ぶにも案外難しい。
夜のバーに行けば誰も社長さんとか先生とおだてられ酒の量とツマミで勘定が増える。
日本では昔の偉い人の本名は諱(いみな)とされ、これは死後に呼称される名であり
生前は通称や生まれた土地の名を言ったらしい。例えば織田信長の諱が信長なので
本来は「織田上総介」でありドラマなどで来客が「信長様」と言っているのは間違いだ。
それは公家も大名も家来も本名を呼ぶのは禁だった。死後にようやく信長と言われる。
似たような習慣は今も言えることで行儀上、相手名を剥き出しにしない配慮も大切だ。
自分の昔の歌の同窓会でも待ち合わせのときに「練馬は遅いな」「東久留米と一緒に
来るんだろう」と話を交わすのも本名を名指しするより住んでいる場所を言ったほうが
和やかな雰囲気が生まれそうだ。それは世界共通のようでニックネームという好感の
もてる名称が生まれた。それは互いにニックネームで呼び合うことで親近感も生まれ
価値観も共有できる。因みに自分のニックネームは「ソンブレロ(Sombrero)帽子の意」
バンドの仲間もニックネームで呼び合っている。親愛と協調はアンサンブルの基本だ。
名前の敬称も地方によって多少違うこともある。例えば東京では旦那様、奥様だが、
大阪では旦那さん、奥さんと呼ぶ。例え、神さま仏さまでも、お伊勢さん、お稲荷さん、
天神さん、観音さんと親しく呼んでいる。大阪は「さん」と軽く、東京では「さま」と重い。
明治初期に標準語が作られたが主に江戸弁と東京の山の手の教養層が話す言葉が
基礎になったという。もし東京遷都がなく京の朝廷がそのまま残っていたら標準語も
今と違って京都弁が主体になっていただろう。京都では「はん」付けも敬称の一つだ。
ラクはん、大トロは美味しおすか?シンゾーはん、人生で最高どすなぁ、おおきに・・
日米関係の親密度も大きく違っていただろう。言葉ひとつで人の価値観も変わる。