隠居の独り言(1288)

今日6月2日は織田信長が京都・本能寺で天下統一を目前にして家来・明智光秀
殺されて432回忌にあたる。「人間50年 天地に較ぶれば夢幻の如くなり」明智軍に
攻められ最期の舞をして辞世を詠い自刃した。享年49歳。でも当時の平均寿命から
すれば天寿であったろう。当時は赤子の頃に病気や怪我等で夭折するのが多かった。
信長が生きた16世紀の日本は平均寿命も30歳にも満たなかったという。調べ物で
昭和23年の新聞を見ていたら三面記事に「老婆はねられて死ぬ」の見出しがあった。
某所で51歳の女性が交通事故で車にはねられて死んだという記事だが驚いたのは
昭和23年で51歳は老婆だった。戦後間もない食糧事情などの理由があったにせよ
その時代を生きた自分として僅か数十年でそんなに人の生命体が変わるものなのか。
現代の50代の女性の何と若く輝く姿格好と比較することさえ信じられない記事だった。
実は日本人の平均寿命50年は戦後になってからというのを最近のニュースで知った。
太古の先輩たちは、誰もが運動選手のように筋肉逞しく山野を走りまわりイノシシや
シカを捕らえていた。そして男は女に子を産ませると、産卵を終えたサケのように萎え
命を終えた。女は子に栄養分を吸い取られ身体が消耗して死んでいった。動物という
生きものは子育てが終わるまでが寿命と定められている。しかし人間の知恵と文明は
素晴らしい。知恵で雨露に打たれて消耗することもないし寒さのため凍えることもない。
文明の急速な発達は僅かウン十年間で50の老婆が美しく艶やかな婦人に変身した。
50どころか最近では還暦だって誰も祝わない。せいぜい古希が最初のお祝いだろう。
しかし最近では65歳になると社会は老人扱いにし親切してくれるがそれは早過ぎる。
昔と違って今の65歳は心身共しっかりして気力も体力も若い人同様、仕事も充分だ。
今は若老の境目は70-75歳辺りだろう。会社の定年も70歳辺りが妥当ではないか。
昨年は突然のよう傘寿を迎えた。ある友人から傘寿の祝いとして高級な傘を頂いた。
知っているはずの家族や近親から何の音沙汰もないのに・・友の情が暖かく感じる。
「刻」が迫る実感は未だないが、この頃は新しい人に出逢うことも少なくなる反面に、
遠くなっていく人が多い。ようやく自分自身のことが気になりはじめているのは確かだ。
80年余りの歩んだ道に悔やむ思いは多々あるがそれは自分の不徳であり仕方ない。
賢人の辞世の句の才もなく徒らに時は流れる。それでも「刻」は確実に近づいている。