隠居の独り言(1296)

毎日、満員電車に小一時間を揺られて会社に通っている。その間、乗り換えがあって
駅の構内を早足で歩く。別に急ぎの旅でもないのだが、健康の維持には早足がいい。
座れるときにはゆっくり本が読めるので単行本の一冊をカバンに秘めている。車中で
常態になっているのは、最近の若者は殆どがスマホを取り出してすごく迅速に親指を
動かしゲームやメールに夢中になっている。車内放送で「優先席付近で携帯の電源を
切り、他の場所も通話はご遠慮ください」と流れるが電源を切る人を見たことがない。
それどころか優先席を必要としている障害者、老人、妊婦にも若い奴は席を譲らない。
日本人の道徳も地に堕ちたものだ。彼らはケータイが無ければ死んでしまうくらいの
必須アイテムだろうが、何を送信していると思えば語彙の幼稚な話し言葉の他愛ない
わざわざ連絡しなくてもいいような内容を打ち込んでいる。内容たるやスゲー、ヤベー、
マジ、ガチ、ヤグル、やばば、うざい、あーね、等々、意味不明な若者言葉が飛び交う。
メールアプリ「LINE」しているグループも多いが、シカトや無視で自殺した事件もあった。
若者だけじゃない。電車の中で、いい大人もスマホでチャカチャカとゲームをしている。
メルトモと繋がっている安心感で本人は心地良くても、それは架空の架橋にすぎない。
バーチャルな人生と道具は簡単で便利だが、反面に便利さは不健康と心掛けたい。
人間の大切な持ち物に五感がある。観る、聴く、触る、嗅ぐ、味わい。小さな液晶体に
血眼になって本来の自然や友情を忘れているのは本末転倒だ。友とは歴史があり、
肉声で交わし、同じ価値観があって初めて付き合える。足を運んで友に近づくために
会いにいく。会えば会釈をして共有感をいつでも語り合えるのが本当の友人だろう。
残念ながら自分の同年輩でITをする人があまりなく友がいてもメールが繋がらない。
その点で今の若い人達は幸せだ。だからこそ美しい日本語でメールを交わして欲しい。
かくいう自分はブログやFacebookをやっているがブログは不特定な人に対してだが
所謂Facebookの「友達」は一日一回の訪問も20数人が限度でそれ以上はできない。
「友達」の何百何千の人もいるが「友達」というより「知り合い」として扱ったほうがいい。
ネットで多くの人と知り合っても温もりはほんの僅かしか得られない。Facebookでの
「いいね」のアクセスをメクラバンのように押し虚しい繋がりの会得感に醉う現代人は
訳のわからぬ奇っ怪な機器を扱い、心は無機質なものになっていく。悲しい。