隠居の独り言(1297)

幾つになっても自分の心、そして相手の本音が分かっているようで分かってないのが
自分と人様の関係だ。この春の定期検診で心房細動という不整脈を指摘されたが、
おまけに血管の大動脈龍の影があるとの診断で、自分も年齢的にも仕事を廃業して
引退の時期かと従業員や一部の取引先と相談した。仕事は自分一人の問題でない。
職人の一人が辞め一軒の取引先の秋冬注文が激減した。でも恨む気はさらさらない。
自分を必要とされないのは不徳の致すところで諦めざるを得ないし責任全て自分だ。
でも反面、こういう時だからこそ、めげずに頑張ろうと何人かの従業員は言ってくれて、
新しい職人を紹介し却って生産力が向上し全体の取引先の受注が増えたことになる。
励まし協力してくれた方々に涙が出るほど嬉しくしかも復帰できた喜びの言葉がない。
まさに地獄に仏だが、いつも空気のよう協力してくれる人のイザの時の心に感謝する。
「捨てる神あれば拾う神あり」とは、よくいったもので見捨てる人も、助ける人も現れる。
皆の励ましのお陰で医師から心臓病に関して全国でも名医と言われる方を紹介され
診断結果、不整脈も許容範囲の内、動脈瘤も大きくなる確率は少ないそうで、まずは
大丈夫の太鼓判を頂いた。セカンドオピニオンの大切と健康の有り難味を改めて思う。
でも文章に句読点があるように自分の人生の一つの句読点と思う。句読点は仕切り
区切りの目印で人が生きていく以上、何らかの節目には本当の人間らしさが浮き出る。
病気を得て自分の心がどれほど悩みどれほど苛まれるかは人には分からないし結局、
自分との戦いだ。人様との間柄はまた自分の器を測る、測られているのが病を得て
気が付いた。誰もが母から独りで生まれたように、いつか病に倒れ独りになっていく。
独りであの世に旅たつ時も傍で何人泣いてくれても関係ない。世を去る自分と一緒に
三途の川を渡ってくれる同行者はいないからだ。人は誰も一人ぽっちと決まっている。
今、ギターの弾き語りを楽しんでいる。歌うは「船頭小唄」 ♪俺は川原の枯れすすき
同じお前も枯れすすき どうせ二人は この世では、花の咲かない枯れすすき・・・・♪
十数年前に何箇所かの老人ホームの慰問をしたが、この曲と「戦友」が最も受けた。
あの時のお年寄りたちはお元気だろうか。慰問した自分がそろそろ慰問される立場に
なってしまった歳月を思う。