隠居の独り言(1308)

文豪・川端康成の若き日の初恋の相手だった人と交わした書簡11通が発見された。
「君からの返事がないので毎日毎日心配で、じっとしていられない」「恋しくて恋しくて
早く会わないと何も手につかない」15歳の伊藤初代に宛てた一節だが、初代からの
返事が遅れていることについて恋する若者の焦燥感が痛々しい。初代が東京本郷の
カフェに働いていたころに知り合って婚約するが、初代が岐阜県の寺の養女となって
東京を去っていく。二人共幼くして親を亡くした境遇で余計に心が通い合ったのだろう。
いっぽう初代からの手紙には「私のようなものを愛してくださいますのは、私にとって
本当に幸福なことです」と綴らえてあるなど、愛情と信頼に結ばれた関係を示していた。
でも晩秋の頃の初代からの手紙は一方的に別れを告げるものだった。結婚の約束を
果たせないのは「ある非常」のためであるという。それを話すくらいなら「死んだほうが
どんなに幸福でしょう」とする激しい内容だった。「ある非常」の理由は永遠に不明だ。
今なら電話でもメールでも連絡しあえるが、数十年前までは手紙以外の通信手段は一切なく、
そんな体験をした自分にとっても川端と初代の恋心は充分に伝わってくる。
「ほんとうに病気じゃないかと思うと夜も寝られない・・」川端の失望と不信感と恨みの
言葉を記した手紙は未投函のままになってしまったが、二人の恋は遂に実らなかった。
川端22歳、初代15歳の時の恋物語だったが手紙の字体や文面を読めば川端には
文学的才能があったとしても、初代は幼い頃から苦労し13歳から既に働いた境遇で
あれほどの文章をきちんと書ける才媛に驚いてしまう。13-15歳は今の中学生であり
当時と比べようもないが、ゲームやラインに嵌る今の中学生の何と幼稚な年代なのか。
戦後の映画「青い山脈」の作品の中で、ラブレターの文に「恋しい恋しい私の恋人」と
書くべきものが「変しい変しい私の変人」となっていたエピソードは映画の名場面だが
たとえ間違えてもラブレターを書くのが恋の一歩だった。恋にも順序というものがある。
近頃の恋は純愛の部分が抜け落ちている。抜け落ちたままオスとメスになってしまう。
恋心が芽生え純粋な気持ちで恋文を書き、或いは丁寧なメールで相手の心を射止め
愛しい内面の心を打ち明ける。それが恋のプロセスであり、順序ではないのかな・・
ラブレターを書けば文章の上達に繋がり、恋は豊かな情緒と言葉を上達させてくれる。
人生を歩む心の豊かさ優しさは恋の出発点に寄与する分が多いと言って過言でない。
ストーカー、児童虐待、最近の事件簿は情緒の欠けた青春期に要因がある気がする。
今電車の中でメール送信に夢中になっている若者に言いたい。きちんとした日本語を
書いたメールだろうか。大人も含めて日本語が乱れている。それで英語教育とは笑う。