隠居の独り言(1324)

宮内庁は9/9日に、昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。
自分も昭和の時代の大半を過ごしただけに「実録」を読むと自分史のように思えてくる。
戦前の天皇陛下は「現人神」であり日本人全てが陛下に忠節心を持って暮らしていた。
昭和天皇の幼少期の作文や手紙など公開されているが実際知りたいのは終戦時の
真実の逸話がとても気になる。とりわけ終戦の決断は昭和天皇なくして望めなかった。
「実録」は事実として確認された言動や側近達の謁見日時が時系列で示され今まで
諸説あった終戦の「ご聖断」の経緯が明らかになったのは歴史的にも実に興味深い。
昭和天皇が最終的にポツダム宣言受託を決意されたのはソ連満州に侵攻したとの
情報を得た直後でソ連参戦が直接原因とされている。それは1945年9/9日のことで
その3日前に広島へ原爆投下され、東郷茂徳外相に「速やかに戦争終結」させたい
希望を述べられた直後のことだった。歴史にイフはないがもし昭和天皇が7/27日に
外務省が連合国のポツダム宣言全文を入手したときに降伏を受託していれば原爆も
ソ連参戦もなかった。当時の政府の無能さはソ連終戦の仲介を依頼していたのが
理由とかで絶好のチャンスを逸してしまう。ソ連を馬鹿正直に信頼したのが愚かさだ。
ソ連が対日参戦するヤルタ密約を某武官が参謀本部に打電したが途中抹殺された。
参謀本部の何という勝手な意地、何という無責任、何という愚かさで日本は惨敗した。
ソ連は仲介を嘲笑うかのように国際条約でもある日ソ不可侵条約を一方的に破棄し
大軍を満州中国東北部)に突然乱入し何百万の日本人を殺害し或いは残虐行為で
踏みにじり何十万の捕虜をシベリアに抑留し強制労働させた。人のすることじゃない。
アメリカ軍のしたことも日本全土の空襲と戦争のトドメは広島・長崎の原爆投下だった。
あえて昭和天皇に申し上げれば多少の優柔不断がお有りだったのだろうか。それとも
重臣たちがポツダム宣言の上奏しなかったのだろうか。歴史の歯車とは些細なことで
大きく違っていく。昭和は歴史の彼方になり、平成になって既に26年、激動の時代を
身をもって体験した人が少なくなっていく。来年には終戦から70年の節目にあたるが
日本をいかに守っていくか、いかに繁栄させるか、昭和から引き継がれた宿題が多い。
終戦直後の退位問題にも触れられている。自らの退位により戦争責任者を連合国に
引き渡さずに済むかを聞かれたことや極東軍事裁判の判決を前に退位の取り沙汰の
意向を示されたのは昭和天皇の責任感や人間性を知り、益々畏敬の念を禁じえない。
昭和天皇は昭和64年(1989)1月7日、87歳をもって崩御された。改めて祈りたい。