隠居の独り言(1325)

若き日のコーラスメンバーが一年一度の同窓会で集まり最近の暮らしぶりを交換した。
そんな中で仲間の80歳になるソプラノが急性心不全で亡くなったという知らせがあり
追い打ちをかけるように仲間のバリトン脳梗塞で倒れ半身不随という。愕然とする。
たまたま集まった日は敬老の日。考えれば自分も含め仲間たちはそんな歳になった。
みんなが初めてYMCAで知り合った時、みんな20代の青春真っ盛りの年齢だった。
週に一度集まり主に賛美歌を練習し、日曜日には当時の進駐軍アーミーホスピタル
(聖路加病院、新橋ガンセンター等)でヒムナル(賛美歌)を歌い1ドルのギャラを貰い
普段は食べられないビフテキを食べたのも懐かしい。昭和一桁生まれの仲間たちは
戦中戦後の苦しい時期を生き、若い盛りは無我夢中で働き、家族を養い定年を迎え
やっと平穏な年齢に達し、これからというのに無常の知らせは時の流れの残酷を思う。
仲間は20世紀動乱の申し子というべき歴史の世代の狭間で、一生涯を過ごしてきた。
戦争も飢餓も経験してやっと世の中が平和になって歌を歌う余裕も出て、だからこそ
YMCAの集いは仲間たちにとって心の癒しだった。仲間は歌の戦友というべきだろう。
それぞれが家庭を持ち所帯の忙しさで紛れ、また会うことの楽しみは何事に代え難い。
一年一度の同窓会は十数年続いたが、モミジが散るように今年をもって解散となった。
発足時は30数人いたが、昨年は12人「みんなでオリンピック見に行こう」といったが
今年は僅か6人で、先日に神谷町の会員宅に集まったが思い出話が一通り終わると、
次の話題は、それぞれの病気や家族の介護の話になって徐々に湿っぽくなってしまう。
老いは心も体も萎えていく。生涯亘って歌いたいけれど友を失う寂しさはこのうえない。
そもそも歌の仲間たちは世代が古いのでコンピューターが普及する前に現役を引退し
殆どがPCやネットに触れたこともなく連絡しあうのも電話や手紙で不便このうえない。
自分も含めて世の中の早いスピードの変化に付いていけない仲間たちはやるせない。
時がゆっくり流れていた頃の老人は若い人から尊敬されたが今では世間のお荷物で
仲間の顔には無数のシワが樹皮に刻まれた亀裂のようになって人生の苦労を物語る。
何が敬老の日か。昭和を必死に生きた仲間の寂しさは苦労知らずの世代に通じない。
昨年まで記念写真を撮ったが、今年はそれも止めにしようと老醜の漂う画像も捨てた。
最後に仲間は昔よく歌った懐かしい「遥かな友に」を合唱して歌の会に別れを告げた。
それは本当に「遥かな友に」なってしまった。そして自分史の一つが終わった。