隠居の独り言(1327)

人がきちんと暮らすためには衣食住足りているのが条件だ。その日々の生活の中で
「衣」に携わった人「食」に耕した人「住」に働いた人たちを、考えたことがあるだろうか。
私たちは多くの人が関連し生活しているが、それは一人一人の労働の賜の上にある。
帽子メーカーに携わって70年近くになる。最初は職人として、今はプラス営業がある。
小僧時代は朝起きて寝る時間まで働きずくめの職人修行だった。帽子を作る過程は
生地の裁断から始まる。当時は、革や生地を裁断する特別な縦包丁でベニアの型を
当てて裁断する。裁断の次は縫製だが、縫製の手順は生地や形によって違ってくる。
それぞれの部分をミシンを分けて縫い、一つの帽子を完成させるには熟練を要する。
最後の仕上げ仕事も疎かにできない。金型のアイロンがけや中には手針仕事もある。
製造の過程で、ミシン目を飛ばしたり針や異物を混入すれば返品と信用の対象となる。
職業として一人前になるには5-10年の歳月をかける。それでも得手不得手があって
全部の帽子の種類が出来るわけじゃない。今、職人の世界で一番に困っているのは
後継者がいないこと、職人の伝統工芸を専門に教える学校は日本では皆無に等しい。
例え学校があっても技術は体で覚え身につくものであり学校教育には適しないだろう。
職人には徒弟制度の中で揉まれ、設計図もなく勘が頼りであり体で覚えていくものだ。
自分も若い時に或るシャポースクールに通ったことがあるが、それは趣味的な製帽で
大量生産の職業としては向かない。世の中には「ものつくり大学」というのがあるが、
問題は教える教授がいないことで、その道一筋、40年、50年の職人の腕からいえば
ものつくり大学」の教授なんて、ドシロウトだ。今、職人の世界で一番困っているのは
後継者がいないこと、豊かさを覚えてしまった今の若い人にはコツコツとモノを覚える
体力も持久性も持ち合わせない。職人の伝統工芸を専門に教える学校も日本にない。
ドイツはマイスター制度というのがあって学校も沢山あるらしいが、日本では職人は
教授にはなれない。職人の持っている技術と知恵は世界でも最たるものと思うけれど
卒論もないし、まして学位論文とは関係がない。だから講師にも助教授にもなれない。
それでも日本人の職人の器用さは世界でも類のないものであり退廃は世界の損失だ。
世の中、何かおかしいと思う。努力した人が報われないのは何のための政治なのか。
そして職人の老後は惨めで会社勤めの厚生年金もなく国保だけの貧乏を強いられる。
まもなく秋の叙勲が発令されるシーズンだが悲しいかな、生涯の苦労を重ねた職人に
何の関係ない叙勲なんて空しい。戦後の高度成長を支えた柱は職人ではなかったか。
単に商品を右から左に流して儲けている欲張り商人がはびこり、前例と形式ばかりに
拘る役人が決める叙勲制度でハクがついて大きな顔をしている世間が真っ当なのか、
職人よ。黙っていないで怒ってほしい。そして声無き声を政治はきちんと報いて欲しい。