隠居の独り言(1329)

「子の使い垣から母が跡をいい」という江戸川柳がある。子供に近所への届け物を
頼んだものの心配になった母親がそっと届け先の垣根までついていくという詩だが
幼い子の成長を願ってやまない母親と健気にそれに応えようとする子が微笑ましい。
神戸市で起きた幼女殺人事件はとても悲しいが、酷な言い方を許されれば、6歳に
なったばかりの幼児を、なぜ親をはじめとする大人たちが見守ってやれなかったのか。
不憫でならない。物騒な最近の世の中で幼児の一人歩きは危険極まりないはずだ。
大都市の真ん中で治安はもとより交通安全週間のさなかの事件だけに憂鬱になる。
報道で確認されただけでも幼児は午後2時45分ころ自宅に下校してから、ひとりで
祖母宅、コンビニ、幼稚園、交番、公園等々を午後5時ごろまで歩いていたというから
信じられないことだ。多くの場所で幼い子がひとりでいるのを見ているのに、誰も声を
掛けられなかったか。まして交番の近くを歩いていて警察官も見ていたはずだと思う。
我が家の近くにも公園が多いが、幼児には親が付き添っているのは言うまでもない。
子供たちだけで遊んでいるのは小学高学年になってからでそれも一人だけはいない。
児童・生徒が登下校中などに連れ去られる事件は近年、全国で100件近くも起きて
いるという。事件が起きるたびに防犯カメラを設置しているというが、どんなにカメラの
安全対策が取られても根本は大人たちが見守る以上の安全策はない。自分を顧みて
子供のころ近所の大人たちはお節介なほどにかまってくれたし殆どが顔見知りだった。
近所が子供を見る慣習は江戸の昔から続いたものであり戦前まであったと記憶する。
この事件と関連するが、児童虐待は昨年届けられたものだけで2万件を超えるという。
日本人の優しさの希薄さ、冷たさはどうしたのだろう。最近とみに人間関係の風潮は
インターネットの普及で相手との直接の関係でなく仮想的なものに嵌まる若者が多く
生の人間関係をせばめている。その方向が近くの人まで締め出しているのは問題だ。
自分は戦争中の「隣組」を経験しているがイメージ的に悪いが、あれは良かったと思う。
今や日本の社会が個人の総和にすぎなくなることをおそれている。世の便利の反面、
それと引き換えに私たちは人間としてほんとうに大切なものを次第に失った気がする。
近所付き合いとは蕎麦のつなぎ粉に似ている。蕎麦の味はつなぎ粉で決まるように
近い人との人間味を大切にしたい。今回起きた、幼児殺人、児童虐待などの対策は
子供への関心や変質者の対応など近所付き合いが密であれば防げるのではないか。
何かに付け「遠い親戚より近くの他人」の言葉を再認識するときにきている。