隠居の独り言(1332)

昭和39年(1964)10月10日〜24日に東京で開かれたオリンピックは国を挙げての
大イベントだった。当時自分は31歳、仕事を独立して間もないころだったので貧乏な
職人には観戦はとても無理。それどころかテレビもなくもっぱら街頭テレビで観戦した。
しかしオリンピック景気で商品が飛ぶように売れ昼夜頑張ったことは鮮明に今も蘇る。
新幹線、国立競技場、武道館、代々木競技場、東京モノレール、日本の夜明けだった。
日本人が国際感覚を身につけたとすれば東京五輪が機だったろう。多くの外国選手、
観光客、マスコミ関係者がどっと日本を訪れこれほど多くの外人と接点を持ったのは
戦後初めてのことで、日本は高度成長と合わせて最も輝いた東京オリンピックだった。
自分も商売始めて4年経て軌道に乗っていた。注文は殺到し、そして身を固めるべく
お見合いが決まり、両親への挨拶のため新幹線にも乗った。翌年40年春に結婚した。
あれから半世紀の幾星霜。2020年東京オリンピック開催に日本国中が湧いているが、
そのとき自分が生きていれば87歳の過老人になるが多分現世からおさらばしている。
反面、思うのは2020年には日本の高齢者の占める人口比率は3割に達するという。
3人に1人が高齢者ということは生産年齢を過ぎた老人を若物2人で養うことになる。
だから今の老人の生活水準を保つのは論外だ。ではどうすればいいか。答えは簡単。
「高齢者年齢」を変えること。そもそも高齢者年齢の始めが65歳というのは若すぎる。
平均寿命の男性が80歳を超えた今では65歳は鼻タレ小僧。現役で働ける齢であり
会社を定年してぶらぶらしているのは勿体ない。その歳になれば家のローンも終わり
子供も独立している。60代の働き盛りに職を取り上げるなんて個人も国家も損失だ。
高齢者年齢を10年ほど伸ばして75歳ぐらいにするのが老人としての年格好と思う。
今や男女雇用機会均等法も出来たが、女性にも生産の仕事に精を出していただく。
人間も生き物の一種である以上、男女を問わずに活動ができる健康があれば生涯に
亘って仕事をし、食べるものを得るのが生きる証しだ。ただし歳を重ねるということは、
どこか五体満足でなくなるということ、老いる運命を肝に銘じて受け入れることであり
誰のうえにも一様に定められた公平な運命だ。それは病いを得て人は初めて気付く。
自分で歩けるということ、食べて排泄できるということ、夜充分眠れるということ、など
いかに偉大なことか。健康がこんなに素晴らしいと気づいただけでも八十路の幸せだ。
今は2020年東京五輪が目標だが、人生のラストコースも決して楽じゃない。