隠居の独り言(1333)

今は煩悩満ちた不良老人だが、これでも中学生の頃は啄木が好きな文学少年だった。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」少年は心酔した。
自分には不来方の城は姫路城であったし、中学卒で上京を前にした十五の心だった。
上京した十五の小僧の苦労は多かったが、啄木を胸に抱いて救われた部分もあった。
「はたらけどはたらけど なお我が暮らし楽にならざり じっと手を見る」啄木の短歌は
生活を表したものも多く仕事の後に啄木を真似、じっと手を見るのを習慣にしていた。
ラテンの歌に詞を付けたのも啄木に負うところ多い。Mis noches sin ti「君偲ぶ夜」は
♪二人は別れの定めなのか。忘れられないあなたの思い出よ。二人の心と夢が破れ
幸せは、この手からこぼれていったのね」この歌詞は、じっと手を見た啄木と重なった。
少年は多くの恋をし、失恋した。青春は二度と戻らないがこの詞は苦い思い出を偲ぶ。
Historia de un amorある恋の物語。♪君が愛したリラの花は今日も寂しく咲いていた
二人歩いた思い出の道 君と過ごした日々は帰らず」先立たれた亡き妻に捧げる歌。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ. 花を買い来て.妻としたしむ」リラは妻の花であり
啄木26年の生涯はあまりに短いが相思相愛の妻節子を熱愛した漂白の詩人だった。
Y Volvere再び帰りたい。♪もう一度あなたの許へ帰りたい 今もあなたが好きだから
けれどあまりに惨めなの 我侭な私のこと許してね あなたがくれた思い出を いつも
心に抱きしめて生きるわ さようなら恋は終わりね 今は涙が止まらない」未練を歌い
訳分からず書いた詞は若き日の満たされぬ感傷と自己陶酔のナルシシズムに満ちる。
まるで自分がヒーローのように不憫に酔い甘い涙を流していた。ラテンの歌の歌詞は
女性に振られる詞が多いが啄木の短歌に表現されるものは惨めな自分、どうしようも
なくダメな自分がそこにある。つまり啄木は振られて泣くラテンの男性にそっくりだ。
「東海の小島の磯の白砂に、われ泣きぬれて蟹と戯る」有名な、この詩を知ったとき、
ロマンテックでいいと感じたが、でも詩を紐解くと何を思ったか男のくせに海辺で泣き
小さな蟹と遊ぶなんて実に情けない。「たわむれに母を背負いて その軽きに泣きて
三歩歩まず」啄木は何て泣き虫だろう。蟹と戯れて泣き、母を背負いて泣き、啄木の
泣いた詩に、泣き虫だった少年の心が重複した。八十路の今に啄木を再び読み返す。
啄木の感傷と孤独が秋なら安らぎに向かって冬が訪れる。詞の心情は啄木に始まり
ラテンで終わった詩と音楽の陶酔の人生も、自分そのものだったと改めて振り返る。